新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

琉球王朝事件簿 ・幻の陶工の系図を巡る改竄事件(2)


西暦、1857年の事、首里立岸村の士族
仲松里之子は、玉城間切冨名腰村在住の花城筑登之を
訪ねて、同家に古くから伝わる古文書を見ました。


それは、1670年代に生存した陶工の花城親雲上の
古文書で、陶業によって功績を挙げたので、
士族の身分を賜るように王府に願い出たものでした。


仲松は、これを見て、
「このような古文書があると言う事は、
きっと、系図が下されたという事だろう
あなたは歴とした士族かも知れない」



と調子の良い事をいい、
平民身分の花城筑登之を喜ばせました。
ここで仲松は儲け話を思い付きます。


首里の系図座にある適当な系図で子孫が不詳な物を
探し出して、花城家と繋げて報酬を受け取ろうと
いうのです、悪いヤツです。


早速、首里に戻った仲松は、系図座に勤める
友達の池原筑登之を抱き込み、
適当な系図を探し、放置されていた平田典通の
系図を発見します。


好都合な事に平田典通も陶工、花城筑登之も陶工
しかも生まれた年も同じであり、
これを花城家の系図と偽り偽造するのは難しくは
なさそうでした。


仲松里之子は、この平田家の系図を盗み出し
偽造を加える事にしたのです。


さあ、悪党の仲松は、もったいぶって、
玉城間切の花城筑登之の家を訪ねて、


「この間の系図だが、調べてみるとありましたよ」


と嘘を言ったので、花城筑登之と親戚の渡口筑登之は
大変に喜んで、是非、「縋(すがり)入り」を
させてくれとお願いしたのです。


縋り入りとは、元は士族だった者が、色々な理由で
王府に出生を報告するのを怠り、士族として
記録されていない場合に、系図を直して
新しく士籍を与えるという行政上の救済措置です。


もちろん、これは簡単でななく、
色々の行政上の知識も必要なら願書も書かなければ
いけません。


だから、そういう事に詳しい、仲松に謝礼を払う事を
条件に、花城、渡口は縋り入りをお願いしたのでした。
(獲物が罠に掛かった)仲松は内心でガッツポーズし、
抱き込んだ池原と謀って高額な報酬を提示します。


ところが、それほど裕福ではない、
花城、渡口はその金額に難色を示しました。
ここで、儲け話を失いたくない仲松は、


「それなら、親戚一同にも声を掛けて、
揃って縋り入りをしたらいい
そうすれば、お金を分担できるだろう」



とアドバイスを出します。


花城、渡口はそれは名案として、
親戚を回り、縋り入りを希望する人を募りました。
その親戚筋に、島袋という金持ちの平民がいました。
ここで再び、事件は複雑な方向に転換します。


つづく、、、

×

非ログインユーザーとして返信する