新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

東京裁判で戦勝国側にいた沖縄人


那覇市泉崎生まれの石川正通(1897~1982)は
英語が天才的に出来るという人物でした。


元々は教会の牧師から習った英会話でしたが
興味を持ったのか次第に熟練し
学校の歴史の答案用紙に英語で答えを書く程で
教師達を慌てさせ、また呆れさせました。


「石川君は英語の受業は受けんでよろしい、
どこかで遊んでいなさい」



教師には、そう言われて煙たがられたと言います。


しかし、英語が出来る代りに石川は数学が
全く出来ませんでした。
その為に一中(現首里高等学校)を二年落第し
退校処分になります。


困った石川は上京して麻布中学校に入学
さらに正則英語学校にも入学します。


正則英語学校に入学した直後、
石川は校長の斎藤秀三郎の講義を受けて
いましたが、校長の英語の間違いを
二箇所程、見つけてその場で注意しました。


そうすると、受業が終わってから
校長室に呼び出しが掛かりました。


「また退校かな、、」


内心ビクビクしながら、校長室に入ると
斎藤校長は開口一番


「君、明日からウチの教師になりなさい
資格なんか、ワシが何とかするから」



何と石川は英語の腕を買われ一日にして、
生徒から教師になってしまったのです。


石川の英語のレベルはネイティブに
匹敵し凌駕する程天才的でした。


第二次世界大戦後に開かれた
極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判では、
英語の技術を買われて雇われ
検事側の通訳兼翻訳官として、
キーナン主席検事と同室で作業していました。



英語一芸に天才を開化させた石川は
順天堂医科大学教授、国士館大学教授を歴任
名誉那覇市民にも選ばれています。


専門馬鹿もここまで突きつめれば、
大したものです。


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