新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

琉球士族の天国と地獄

琉球の士族は大きく2つに分かれます。
総地頭、脇地頭のように、御殿、殿内、親方と呼ばれ
領地を持っていたり役職について俸給を受ける高級士族と
いつ空くとも知れない王府のポストを狙い
農業や内職に勤しむ平士族です。


琉球処分における、なんら国際法に基づかない
明治政府の強制併合は琉球士族の反発を招き、
9割の士族は頑固党と言われる反日・親中の行動を取り、
職務をボイコットしました。


このような頑固党の行動は現在でも


「自己保身に汲々とした行為」
「世界情勢を見ていない因循姑息」
「既得権益が惜しいだけの保身」


と後世から紋切り型の批判されますが
明治政府の強権的な姿勢、国際法無視の
なし崩しの琉球併合に当時の士族の多くが怒りを覚えたのは
自然な事です、それが愛国心というものです。


開化党にしても世界情勢に鑑みて抵抗は無意味という
消極姿勢で日本化を受けいれたのであり、
喜んで亡国に加担した士族はいないでしょう。


無用な混乱を避けて日本化する事で琉球を存続させようと
考えた開化党と、あくまで日本化を拒否する頑固党の中に
同様に「祖国を憂う心」があったのは否定しえない事で、


後世の開化党だけを持て囃す歴史家や批評家には
決定的にその視点が欠けています。


理不尽な権力への抵抗を、ただ既得権益が惜しいだけと断じるなら
結局、お金がある人間、長いモノには巻かれろという
最悪の事大主義にしか直結しないでしょう。



単純に日本支配への抵抗が、
既得権益だと主張する人は、
台湾や朝鮮半島において日本の植民地化に
抵抗した人々も既得権益が惜しかったからだ
とでも言うのでしょうか?


明治政府は拷問や逮捕という強権措置を
取りますが実際問題として沖縄県の統治は、
彼等士族階級の手を借りない限り不可能でした。


一方で頑固党の士族も、先の見えない反日運動や
あてに出来ない清国の救援に疲れ果てていきます。


そこで政府は妥協・懐柔案に転じ、
1880年から、1910年まで琉球の有禄士族
360名に対して年間15万円、今の金額で30億円の
金録を与え生活の保障を打ち出します。


単純に30億円を360人で割ると、
一人頭、年間820万円にもなり巨額の収入です。
実際、大田朝敷などは、むしろ琉球処分後の方が
家人を雇ったり、家格を維持する苦労が無い分、
生活は楽であったと回想しています。


一方で全士族の95%にあたる無禄士族には、
明治政府は授産資金として十数万円を供出しただけで
その扱いの差は歴然としていました。


特に、首里・那覇の士族は、食べる為に、
慣れない商売や教師、巡査、地方に移住して
農業に従事していきました。
無禄士族の落ちぶれた様子は


「あわれつれなさや廃藩のサムレー、
笠に顔隠ち馬小曳ちゆさ」


※廃藩の士族は哀れなものだ、
笠で顔を隠し、馬を曳いていくよ


と平民階級には、憐れみと蔑みの感情の交じった
琉歌に詠まれています。






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