新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

杣山問題が起こした沖縄の自由民権運動1

  • 蔡温が維持した杣山が奈良原知事の食い物にされる


今から200年前、琉球における燃料とは、すべて木材でした。
今のように、足りない物資はどの国からでも輸入できる時代ではないので
必然的に資源の確保は必要不可欠の政策になっていきます。


しかし、折からの製糖ブームにより17世紀後半から各地の木材は
無計画な伐採が続き、洪水や赤潮のような被害が出るようになります。
このような事態を解消しようと立ちあがったのが名宰相 蔡温でした。


蔡温(1682~1762)


林政八書を著し、国内森林を保護し、植林を行い乱伐を厳しく
制限した蔡温の政策により禿山になる筈だった琉球の森林資源は、
温存され、明治維新、琉球処分を迎えます。


無計画な伐採から北部の広大な森林が守られたのは、
実に名宰相、蔡温の大きな功績でした。


  • 没落士族の救済を口実に杣山の払い下げが始まる


蔡温が没してから、131年後、1893年、
就任二年目の沖縄県知事、奈良原繁は、
没落した旧琉球士族の生活の救済の為に、
杣山を開墾して農業地や製糖工場を建設するなどの
産業基盤にする政策を打ち出すようになります。


奈良原繁(1834~1918)


前年の丸岡知事の時代に農業技師として県庁に勤めていた
謝花昇は、この土地調査委員であり、払い下げに認可を出す
立場にありました。

謝花昇(1865~1908)


しかし、困窮する士族への杣山払い下げは、ただの口実であり
事実上は数年後にやってくるであろう土地の区画整理に備えて
莫大な官有地を私有地として金持ち連中に切り売りするもので


そこには、困窮する下級士族への救済などほとんど念頭にない
ただの沖縄の天然資源の私物化がありました。


事実、払い下げの申請にくるのは、王府の高官や、金持ち
鹿児島の実業家、さらに本土の政治家まで含まれていました。


それは、貴族院議員の小室信夫、内務官僚の松岡康毅等
奈良原の引きで利権に預かろうという面々で、
何となく、現在、沖縄の軍用地を保有している
政党政治家のお歴々を想起させます。


  • 許可を渋る謝花を奈良原は左遷する


さらに、奈良原の計画は農林の実情を全く踏まえない恣意的なもので
この通りに払い下げて開墾を許すと、返って自然災害を起こす
可能性さえありました。


土地調査委員の謝花は、細かい禁止事項を造り、
ただの土地取得の為の申請は全て、はねのけたので、
次第に奈良原の怒りを買い、1894年の9月には、
意のままにならない謝花を左遷しました。



                  つづく・・・












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