新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

琉球王朝にもあった正妻と側妻の争い

尚貞王(1669~1709)の時代の事です。
尚貞王は、中山世譜を編纂させるなど、名君だったのですが、
歳を取ってから、真壁という夫人を迎えて、
その美貌に夢中になります。

その頃、尚貞王には、
正妃の奥間という女性がいたのですが、
勝気な性格の真壁は奥間と衝突します。


本来なら国王が、これをまとめる所ですが
尚貞王は、真壁にゾッコンの為に、
これを注意できず、真壁は増長します。


結局、正妃の奥間と尚貞王は離婚して
真壁を継妃にしてしまいます。


奥間は屈辱の中で体調を崩し死去、
その亡きがらは王家の墓地である
玉陵に葬られる筈でした。


ところが、真壁がこれを嫌がり、
ここでも彼女にゾッコンな王は、
真壁の肩を持ってしまいます。


ですが、流石にこれはあんまりだと
皇太子が泣いて諌めたので
この事態は解決するかに見えました。


が、収まらない継妃真壁は、
自分の屋敷に桟敷を組んで、
奥間の葬儀を見物すると言い出したのです。


またしても、真壁にゾッコンの王は
何にも言えず、家臣も真壁に苦言を言えず、
このまま桟敷は出来るかと思った時、


護左丸の子孫で硬骨漢として有名な
裁判長の江田親雲上盛常が激怒、、


「王妃の葬儀を見物とは不謹慎なり、
直ぐに桟敷は打ち壊せ」
と即断。


こうして、桟敷は破懐され、
真壁の野望は潰えました。


小さな王国にも、こんな愛憎劇があったのですね。


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