薩摩をびっくりさせた琉球の馬術の名人
琉球が薩摩に敗れた後の事です。
八重山に仲黒馬という名馬がいるというので
薩摩藩主、島津家久は琉球に
馬を護送するように命令しました。
しかし、この仲黒馬、気性が荒く
誰にも乗りこなせません。
ただ、1人、武芸者の野国親雲上宗保だけは、
この仲黒馬を乗りこなせたので、
護送官は宗保に薩摩まで来てくれるように依頼します。
薩摩では、名うての調教師が待っていましたが、
この仲黒馬、無限のスタミナで
何名もの調教師を振り落としてしまいます。
家久は部下がだらしがないのにイライラし、
「誰でもよいから、この馬を乗りこなしてみよ」
と命令をします。
そこで宗保が名乗りを上げると、
仲黒馬は、まるで犬のように従順になり、
風のように草原を駆けたという事です。
宗保は家久に気に入られ、以後、何度か
薩摩に呼ばれ、秘伝の馬術を伝授されたそうです。
戦に敗れても腕の立つものはいるものだと、
薩摩の人々は宗保を見て認識を改めたという事です。