新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

北京で情報収集をする琉球

西暦1644年、
李自成の反乱で明は崩壊し、
山海関を越えた満州族が

反乱軍を撃ち破り清を建国します。


この清は中国史上、最も巨大な領土を持っていました。

また、日本と同じように清は鎖国をしてはいましたが、
それは外国人が国の中を
自由に出入り出来ないという意味です。



清は杭州に限って交易用に
西洋列強に土地を貸与していました。


長崎の出島の巨大バージョンですね。
ここには17国の西洋の商館があり、
スウェーデンや、オーストリア、
イギリスもありました。



彼等は、さらなる貿易の権利を求めて毎年正月には、
年賀の挨拶にかこつけて北京に上っていました。


その当時の北京は、
世界中から人種が集まる土地だったのです。


清は当時世界帝国であり、
私達がイメージする老大国では無かったのです。


琉球も進貢国として
北京に使節を送りつつ、
世界中の情報が集まる北京で

情報収集をしていました。


当時の日本は、
清帝国の冊封を受ける事を屈辱と感じていて
日本人は北京にいけなかったので、
かわりに薩摩藩を通じて
琉球から国際情勢を聞き出していたのです。



ただ、挨拶をする為だけに琉球人が北京に
行っていたわけではないんですね。



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