琉球、細川氏に代金を踏み倒される
応仁の乱の東軍の大将として
有名な管領、細川勝元
琉球は彼に酷い目にあわされています。
西暦1451年琉球の貿易船が兵庫に入港します。
そこは、管領、細川氏の領地でした。
しばらくすると、細川家の家来を名乗る
日本の武士が大勢やってきて高そうな品から
強引に持ち去ってしまいました。
それからしばらくしても何の代金支払いがなく、
売掛金は五千貫文(7千万円)にもなり
耐えがたいと思った琉球は幕府に訴えて返済を迫ります。
室町幕府は一応、糾明奉行を送り、
細川勝元から事情を聴取しますが、
この当時、将軍を凌ぐ権勢がある細川氏から
強引に金を取り立てる事も出来ませんでした。
琉球は泣き寝入りするしかなかったのです。
琉球は、財政難の室町幕府からも何やかやで、
献金を強いられていたりしており、
概ね、日本に関しては中国よりいい感情を持って
いませんでした。