新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

☆琉球の黒船はおフランスからやってきたザンス!!

日本史でいう黒船とは、一般にペリー艦隊の事を意味します。
しかし、琉球史における黒船はペリーではないのです。
 西暦1844年、フランス艦隊のデュ・プラン提督率いる 軍艦アルクメーヌ号が
那覇港に入りました。 それまでの友好を深めるという理由ではなく、
 通商やキリスト教の布教を求めてきたのです。


 アルクメーヌ号は、全長80メートル、 大砲を30門、武装した乗組員203名を備えた 
後にペリーが率いてきた蒸気艦のサスケハナと ほとんど同型の堂々たる軍艦です。
 日本人より9年早く那覇の人々は蒸気船を見て いたという事になります。


 琉球は、薪と水、食糧の無償供与は出来るが、 通商やキリスト教の布教は拒否します。
 すると、デュ・プランは、 「来年には間もなくフランス艦隊がやってくる 決断は早い方がいい、、」 と恫喝して、宣教師フォルカードを 琉球が反対するのを無視して 強引に降ろして去っていきました。

 1846年には、デュ・プランの言葉通り、 セシーユ提督が3隻の黒船を率いて那覇港に到着。
 セシーユは、アヘン戦争に敗れた清と フランスが清仏条約を締結した事をほのめかし、 
「琉球も早く鎖国を解いた方が痛い目を見ないですむ」 と強圧的な態度に出ましたが、
 今度も琉球は拒否。



セシーユは、 「日本と先に条約を結んでくる」と言って 琉球を去っていきました。
 今度にフランス艦隊が訪れているのは、 西暦1855年、、 今度は、ゲラン(ゲレンとも)提督が
 軍艦3隻を率いて来琉、、 琉球が再度拒否すると、今度は230名の兵士を 上陸させて那覇に入り、総理官、布政官に 銃剣を突きつけて条約を締結させました。


 ゲランの乱暴ぶりは、ペリーを上回り、 町中で散弾銃を発砲して琉球人を負傷させ、
 金品を奪うなどやりたい放題 でした。


ところがフランス艦隊の影は、 ペリーの影に隠れて見えなくなっています。 
ミー達を無視したら、困るザンス、シェー!!!


※写真は、アルクメーヌ号ではありません。


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