新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

南山王、朝鮮に亡命する!

西暦1392年、朝鮮では高麗王朝が滅亡、
高麗王朝の武将で倭寇退治のスペシャリストだった
李成桂が、高麗を倒して李氏朝鮮を開きます。


それからほどなく、1393年、中山王、察度は、
倭寇にさらわれた朝鮮人を送還するのと同時に
朝鮮に亡命した南山王子
「承察度」の引き渡しを請います。


さらに1398年、李氏朝鮮の記録、李朝実録には、
この年、温沙道という南山の王子が
家臣15名と朝鮮の晋陽へ亡命。
それから8カ月の後、病死したとあるのです。

承察度も温沙道も琉球読みの「うふさと」に漢字を当てたもの
つまり、朝鮮に亡命したのは、大里という王子でした。


大里按司は南山の覇者でしたが、3~4代経過する頃には
従兄弟とも、部下とも言われる、
八重瀬按司に勢力を奪われて
衰退していきます。

この八重瀬按司は
汪英紫(おうえいじ)として記録され
中国に進貢船を出している人物ですが、
出船の回数は南山王よりも多い位でした。


元々の大里按司は、この八重瀬按司に圧されて、
最期には命の危険を感じて
朝鮮に亡命したと思われます。


さらに、その大里王子の引き渡しを
中山の武寧王が、願い出ているという事は、
中山が、このお家騒動で
八重瀬按司側についた事を意味しています。

琉球において孤立無援になった大里王子が、
故郷を捨てて、亡命したのも無理からぬ事かも
知れませんね。



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