新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

首里城に埋蔵金が存在した!!

琉球は二年に一度、
中国に進貢船を送っていましたが、


※接貢船というお迎えの船も
出したので事実上は毎年


これには莫大なお金が掛かりました。


進貢というのは、中国皇帝へ忠義を示す
オフィシャルなものなので


「すみません、今年は
お金ないので伸ばして下さーい」


というような言い分が一切通りません。


そこで、琉球は表の経済とは
別にへそくり、いわば埋蔵金を
持つようになりました。

伊江親方日々記という史料にも、
1808年の冠船貿易で残った
銀200貫を瓶につめて
地面に埋めたとあります。


これは首里城の大奥にあたる
大内原に埋められて、
一部の人間しか知らない秘密でした。


時代は流れて琉球処分になると、
中国に使節を送る事が無くなり、
埋蔵金は宙に浮く事になります。


1879年の明治政府は、
2年前の西南戦争の戦費調達で

大量の公債を発行しており
財政は火の車です。

これでもし、首里城の埋蔵金が
発見されたら、必ず、これは明治政府の
ものだと強奪するでしょう。

そこで首里城の重臣は夜中に、
極秘に首里の若い士を集めて、
大内原から、埋蔵金を掘り出し


当時、尚泰王が仮住まいをしていた
中城御殿にすべて移したのだそうです。


その金額は40万両、、
すべてが金でなかったとしても、
今の貨幣価値なら100億円は下らない
莫大な金額だったようです。


この話は、沖縄学の父として知られる
伊波普猷が首里の古老から聞いた話だそうで

およそ正確性を重んじる
伊波の学問的態度から見て
いい加減な話ではないと思います。



それにしても、明治政府に
埋蔵金を盗られなくて良かった。



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