新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

琉球は薩摩の奴隷だったのか?

西暦1609年以来、琉球は薩摩の島津氏に侵略され
以後は、鵜飼いの鵜のように富を吐きだして
薩摩に与えていたという話があります。

では、実際には、琉球に薩摩は
どのように干渉出来たのでしょうか?


実は、薩摩から琉球に派遣されて来た
在藩役人は10名前後しかいません。


植民地帝国のように総督がいて、
その下に官僚がいるという感じではありませんでした。

インドを250年支配した英国は、
インド総督を頂点に

4000名のスタッフがいました。


4000名はインドの総人口から考えると
とても少ないですが、それでも10数名とは比較になりません。


それもその筈で、そもそも在番役人というのは、
キリシタン禁制の改めと
琉球からの年貢を薩摩に送るのが役目。

それ以外の王府の仕事にはノータッチの上に、
癒着が起きるのを防止する為に
国王との接触も禁止でした。


そして、面白いのは、薩摩役人が犯罪の被害に遭うと、
それは、琉球の裁判所である平等所に送られ、
捜査は琉球人が行ういう決まりになっていました。

元より、10数名のスタッフで犯罪捜査なんか
出来るわけないのでそうするより仕方が無かったのです。


もちろん、琉球の政治に薩摩の横槍があったのは、
一度や二度ではありません。


ですが、琉球も何でも薩摩の命令なら
聞いたという事でもないのです。


立場としては琉球が弱いのですが、
薩摩は、何でも自分の思うままにして
琉球が疲弊しきっても困るので、
そこに駆け引きが存在していたのでした。




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