弓太郎、県知事を殺害しようとして謝花昇に止められる
明治31年、台湾で警察官として
先住民討伐に参加し
負傷した新垣弓太郎は
一度沖縄に帰り、再び上京して
東京で下宿屋を開きます。
そこにやってきたのが沖縄で、
奈良原県知事と対立していた
沖縄県人の謝花昇(1865~1908)です。
謝花は沖縄の自由民権運動の提唱者で
沖縄県民にも参政権を与えよという
運動していました。
二人は沖縄出身という事で
意気投合ここで弓太郎は
初めて自由民権運動
というものを知ります。
謝花は、奈良原がいかに沖縄県民を
虐げ食い物にしているかを
弓太郎に力説しました。
しかし正義感が強い弓太郎は、
奈良原の横暴を聴いて義憤を持ち
「俺が奈良原を殺す」
と宣言します。
ですが、そんな事をされては、
折角の民主的な運動がパアになると
恐れた謝花は必死で弓太郎を説得・・
何とか思いとどまらせる事に
成功しました。
が、、謝花の運動は奈良原知事の妨害にあい
上手くいかず、謝花も心労から発狂し
沖縄で明治41年、
43歳の若さで死にます。
それを聞いた弓太郎は説得に応じた事を後悔し
「やはり、奈良原は
俺が殺すべきであった」
と晩年まで言い続けていたそうです。