新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

■元の皇帝にアラビア文字で上奏文を出した琉球?


琉球が初めて中国と公式交流を持ったのは、
1372年と言われています。


しかし、一方でそれよりも以前の元の時代にも
琉球から元の皇帝に上奏文が送られたという
記録があるようです。


そんな記録を残したのは、元末から明初の文人
陶宗儀(1329~1410)という人です。


彼によると、琉球から送られた上奏文は
高さ24センチ、厚さ1・5センチの
木簡を束ねたものであったようで
そこには、オタマジャクシのような文字が
書いてあると記録されています。


ここまでは、ああ平仮名かな・・と
思われるのですが、そこからが不思議で
なんとそれは横文字であったと言うのです。


パソコン入力の現代ならいざしらず、
大昔、横文字の平仮名なんか見た事がありません。


伊波普猷も、この事に触れており、
彼の説では、このオタマジャクシ文字は、
ジャワ、スマトラ、フィリピンで使用されていた
ものを借用していたのでは?としています。


この上奏文が出されたのは
1200年代の末期の元のフビライ・ハンの時代で
琉球では英祖王の時代に当たるようです。


この時代には、まだ琉球における
公式文書が確立しておらず当時から交易関係にあった、
ジャワ、スマトラ、フィリピンの文字を
そのまま拝借して上奏文にしていたのではないか?
という事だそうです。


しかし、私が思うには、、
スマトラ島の西北部は1200年代末には
イスラムの国が出来ているので
もしかすると、そのオタマジャクシ文字とは
アラビア文字だったのかも知れません。


そんな馬鹿な?と思うかも知れませんが、


モンゴル帝国においては漢民族の官僚より
イスラムの官僚の方が地位が上で、
イスラム教は保護されていたのです。


そこまで英祖王が頭に入れていたならば
むしろ漢文よりアラビア文字で書いた方が
元の皇帝の覚えも目出度いのではないか?


として、敢えてアラビア文字だったのかも・・
もし、それが本当だったら、
なんと融通無碍な民族でしょうね。

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