歴史認識を巡り、ギクシャクしている韓国と日本ですが、
琉球と朝鮮には、日本とは違った繋がりがありました。
西暦1592年、8月、秀吉が朝鮮出兵の軍を起した頃、
朝鮮半島と中国の国境沿いにある平安道の義州で
驚くべき風聞が出回りました。
「秀吉軍の混乱に乗じて、琉球人が
秀吉を暗殺したこれで戦争は終わりだ」
実際には、これはデマであり
当の秀吉は大阪城でピンピンしていましたが、
これは大きな風聞になったようで
当時の朝鮮の儒学者、呉希文が日記に書き残しています。
朝鮮の民衆にとっては、両班(ヤンバン)という
支配者層の搾取も憎悪の対象でしたが、
同時に秀吉の侵略も迷惑以外の何物でもありません。
(早く戦争が終わって欲しい、 誰かが、秀吉を殺してくれないか)
こういう願望が庶民にはあり、
それが日本とは
繋がりがありつつも、朝鮮、中国の味方だと考えられた
琉球人によって、秀吉が暗殺された
というデマになって噴出したのです。
ここにも、琉球と日本を明確に分けて考え
むしろ琉球は同胞であると考えていた
当時の朝鮮の人々の思考が垣間見えます。