新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

2016年12月のブログ記事

  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成3

    地理的に近いから日本領という珍妙な理屈 琉球弧の島々を沖縄本島にすり替え、古代から大和朝廷に琉球が 服属していたかのような詭弁をなし、神話的ロマンを持つ為朝伝説でさえ、 琉球王は為朝の子孫=天皇の臣下という悪辣な牽強付会をした明治政府は、 次に琉球と日本が地理的に近い事を領有の根拠とします。 地理... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成2

    伝説まで沖縄支配の根拠にする明治政府 予想される清朝との琉球帰属問題では、 必ず、どちらが琉球との関わりが深いかが問題になる。 伊藤博文の懐刀、情報官僚である伊東巳代治は、 それを予見し、現在の琉球弧エリアをあらわすに過ぎない、 南島、みなみしまという、古代の大和朝廷の記述を、 沖縄本島に限定する... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成1

    琉球の強制併合前後から歴史を造り始めた明治政府 琉球を併合するという意志を固めた明治政府ですが、 そこには、当然、冊封国を失う清朝の反発と、 自治を失う琉球国の反発が予想されました。 それに対応する為に、明治政府は、これまで、 誰も唱えて来なかった、琉球は古来日本の一部である という理論武装を大急... 続きをみる

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  • ■東京で行われた琉・日・清の駆け引き

    後に尚泰侯爵の邸宅になる飯田橋の琉球藩邸に 幸地朝常、与那原良傑、池城安規が入ったのは 明治8年、9月27日頃の事だ。 近くに靖国神社があり、皇居にも近い、 宿敵である大久保利通が詰めていた内務省は、 右の丸で囲んだ辺りにあり、 池城親方は、明治8年の3月~5月、 ここに8回通って大久保と琉球の処... 続きをみる

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  • 明治政府要人の暴言録

    絶えず続く無理解と押しつけ 昨今の土人発言に限らず、日本人の沖縄への 無理解は、はるか140年前に遡ります。 ここでは、そんな身勝手な明治政府要人の言葉を 紹介していきます。 大蔵大輔 井上馨 明治5年 「かの国は南海に起伏している島で、 一方の要塞だ清との関係が曖昧なまま数百年過ぎたが、 維新の... 続きをみる

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  • 琉球の農民は貧しかったのか?

    搾取される農民可哀想という史観 いわゆる進歩史観という社会主義的な考えが全盛の頃は、 全ての歴史は、支配者による被支配者の搾取で語られていました。 しかし、それは、富裕層を打ち倒し労働者の政権が産まれるのが 歴史的必然と考えられたイデオロギーの産物でしかありません。 すでに江戸時代は再考され、 「... 続きをみる

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  • 王府の役人は無能だったのか?当時の社会を考える。

    琉球の役人は本当に無能だったか? 19世紀に至ると、琉球の財政は目に見えて行き詰まり、 薩摩藩からの借金まみれになっていきます。 しかし、その事から王府の役人は無為無策であり、 統治能力がないのだから、明治政府に取って替わられる べきであったという結果論がありますが、 果たしてそれは、正しいのでし... 続きをみる

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