新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

・冊封使になりたくない! あの手、この手で逃げる使者達



冊封使は、皇帝の名代で朝貢国に出向する名誉な仕事です。
しかし、陸続きの朝鮮やベトナムのような国と違い、


海賊や遭難の危険がある琉球への使者は、
皆嫌がって、行きたがりませんでした。


とはいえ、
「琉球行きは死ぬかも知れないので辞退します」


は、皇帝の忠実な家来として決して言ってはいけないですし、
そんな事を言えば、最悪処刑が待っています。


なので、琉球冊封使に選ばれた人々は、
あの手、この手でこの難を逃れようとしました。


一番ポピュラーなのは、丁憂交替(ていゆうこうたい)です。
儒教の国、中国では肉親の死は、公務に勝る一大事で、
官職を休んで、27カ月間、実家で喪に服します。


ですので、一度、冊封使に決定しても肉親が死んだら、
喪に服す事を理由に辞退が許されました。


不正もあったかも知れませんが、冊封使に選ばれた役人は
亡くなりそうな身内がいたら、


「どうか俺が冊封に行く前にあの世に旅立ってくれ」
と願ったかも知れません


もう一つは、領封と頒封という二つの方式がありました。


頒封とは、従来の冊封の形式で、中国側から使者が琉球に渡り
王に勅を下して帰るという方法です。


一方の領封という方式は、琉球の側から、使者が来て
儀式を済ませて帰るという方法でした。


この領封は、冊封使が海を渡らないでいいので、
使者に取っては素晴らしい方法であり、


彼等は、何度も、皇帝に上奏して領封を賜りますように
と願いを出しています。


冊封使に選ばれた陳侃(ちんかん)は、
その友人から、以下のように言われています。


「どうして、天子の使者が危険な海を渡り、小国の王は
それをぼけっと待っているのか?逆ではないですか?」


それに対して、陳侃は、


「いや、君の言う通りだと思うよ、、でもさ、
琉球が、それを言い出したなら、まだしも、、僕達が
それを言えば、命が惜しいのだろうと言われるだけさ」


とコメントを返しています。


結局、領封は、一度も行われず、冊封使達は、
危険な荒波を毎回、渡る事になったのです。

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