新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

☆琉米条約に入れられた唯一の琉球側の要望とは?


琉球にやってきた米兵には、一応、夕方を過ぎたら
艦内に戻る事、それが無理なら指定された寺などで
宿泊する事が通達されていました。


しかし、ペリーが連れてきた800名という
水兵には、それを守らないでトラブルを起す人間も
大勢いたのも事実でした。


・民家の垣根を乗り越えて、
人の家の位牌を、お土産と言って強引に持ちさる


・市場の女性の体を触る


・品物を奪って、無理矢理に硬貨を押しつける


・国廟である崇現寺に土足で上がり込む


・山で発砲して住民に怪我を負わせる



最初の頃は、王府の通達を守り、
また、赤ら顔に目の蒼いアメリカ人を恐れて
住民は、ガマンしていましたが、
それが頻繁になったので、耐えきれず自己防衛を
開始する人々が出てきました。


特に市場では、米兵の買い物が禁止されているので
例え、代金を払ってくれても、王府に没収され、
商品は戻らないので、商売人は踏んだり蹴ったりでした。


なので、米兵が近づくと、棒や杖を振りまわして
商品を取られまいとして戦う人々もいたのです。


王府は、そのような事は止めるように通達を
出していますが、補償も何もしてくれない状態で
そんな事を言われても聞く人はいませんでした。


さて、琉米条約は、殆どアメリカの要求ですが、
一つだけ、琉球からの要求が入っています。



4条 中略ーただし、彼等が暴力的に
民家に押し入ったり、婦女に戯れたり、
人民に強制的に物を売らせたり
その他類似の不法行為をした時には
地方官憲の手で逮捕する事ー


逮捕するのは琉球の警察ですが、裁判権はなく
速やかに船長に引き渡すという治外法権でしたが、


当時の琉球が、いかに乱暴なアメリカ水兵に
悩まされていたかが分かります。

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