新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

☆大名を潰す大和、親戚にする琉球

尚真王は、琉球各地に散らばっていた按司を 
首里に集めて、中央集権体制を強化します。


王は、配下の按司達に多額の給与を与え 

領地に戻る気がしなくなるように 仕向けるばかりではなく、
お互いが反目しないように、 首里を3つの平等(ふぃら)に分けて、 

それぞれ、南山、北山、中山の按司を 纏めて配置しました。 

それぞれの平等には 御嶽も設置され、
わざわざ 地元に帰らなくてもいいように しています。
 こうして按司と土地との繋がりを 尚家は絶っていったのです。


 また、尚王統は、 首里に移転した三山の按司に、

 積極的に娘を与えて婚姻を結び幕末までには、
按司家は 殆ど全て尚家の親戚になって尚を名乗り、
名乗り頭は朝になります。


 ※唯一の例外は先祖の功績で 按司名を残された国頭御殿だけ 


一方の徳川幕府は、 親藩・譜代大名は別としても、

 外様大名には常に目を光らせ、 落ち度あれば改易して 
領地を没収しています。 赤穂藩の取り潰しが有名ですが、 

それ以外にも改易になったのは、 200家を下らないでしょう。


 琉球で取りつぶしになったのは、 尚寧王の時代に乱を起こした

 謝名家くらいのもので、 それ以外では聞きません。


武断に傾いた大和に対し、背かせなかった琉球の統治は、
より巧妙で周到であったと言えるでしょう。

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