杣山問題が起こした沖縄の自由民権運動4
- 沖縄クラブに集結した自由民権の闘士達
さて、あまり知られていない、沖縄クラブに集結した、
自由民権運動の闘士を紹介してみましょう。
※すでに出ている謝花昇は除きます。
・当山久三・・・・金武村出身、沖縄師範学校卒、沖縄移民の父。
民権運動の挫折後、以前から考えていた沖縄移民構想を
実行に移し、第一回ハワイ移民を成功させ、
移民事業を軌道に乗せる。
当山久三(1868~1910)
・長田秀雄・・・・謝花昇の夫人、キヨ子の兄で東風平村の素封家
南陽社の出資者
・上間幸助・・・羽地村出身、沖縄師範学校卒、当山と同期、謝花の熱意に
突き動かされて教職を辞し、運動に参加。
・諸見里朝鴻・・首里の特権階級出身だが、奈良原知事と鹿児島商人の
横暴に怒り、沖縄クラブに参加、沖縄時論 主筆
諸見里朝鴻(1868~1921)
・具志保門・・・豊見城村出身、小学校卒業後、役場の吏員になるが、
職を辞めて謝花の元に走り、沖縄時論を発行する。
・平良新助・・・今帰仁村出身、沖縄中学在学中に、謝花、当山等の
杣山問題の演説を聞いて共鳴、退学して沖縄クラブに参加
運動の挫折後は当山久三と共にハワイ移民に尽力。
以後、北米移民にも尽力、ひやみかち節の作者でもある。
平良新助(1879~1970)
・伊舎良平吉・・東風平村出身、東風平の区長を務めていたが、謝花が
沖縄クラブを組織して沖縄時論を発行すると、編集者になる。
・新垣弓太郎・・南風原村出身、謝花が東京滞在中、下宿を世話した。
奈良原県政の横暴と自由民権運動に意気投合。
運動の挫折後、下宿を世話した中国人革命家と共に
辛亥革命に参加した国士。
新垣弓太郎(1872~1964)
上の8名以外にも、野原恭四郎、赤嶺昭太郎、喜納昌松、宮城弘毅、
渡慶次一という、青年達が、謝花を助け、沖縄県に参政権を求め、
かつ、横暴を極める奈良原県政を糾弾するようになります。
運動が挫折しても、彼等は諦める事なく、むしろ、その戦いは
版図を拡大し、ハワイへ北米へ、中国革命へスケールを
大きくして行ったのです。
沖縄県の北と南から多くの人材が集まったのは、
旧藩から500年続いた間切制が無くなり交通の便が、
スムーズになった事を意味していました。
沖縄は、日本の制度を取り入れながら、
主体性を取り戻す為の長い戦いの歴史に入ります。
そして、今もなお、沖縄人の主体性を取り戻す
戦いは継続しているという事。
世の中が替わり続ける限り、戦いは終わらない
という事実を忘れてはいけないでしょう。
つづく・・・