シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成9
- 琉球征伐は島津による懲罰だと主張する明治政府
明治政府の島津氏の琉球支配へのスタンスは実に珍妙なものである。
それは、島津氏による琉球侵略が、あたかも徳川幕府の命令により
実現されたかのような口ぶりを取っている事だ。
こうする事により島津氏の侵略は、薩摩への年貢を怠った、
琉球に対する懲罰にしたいのである。
何故かと言えば、琉球は古代より日本の領地であり、
島津氏の保護国であり、琉球への侵略は島津氏の都合ではなく、
日本国の総意という事にしたい苦しい詭弁だからだ。
- 琉球侵攻
家康はまた、琉球が島津の附庸であったことを記す政令を認証した。
そして、島津家久は配下に対し、尚寧王以前の琉球の政治形態すべての改革と
琉球の統率を命じたのだった。さらに家久は島全体の調査を命じ、
米の収穫量を確認の上、琉球に課せられる石高が定められた。
爾後、琉球より島津家にもたらされる収益は将軍の認証を得て
すべて島津のそれとなったのだった。
また、島津は刑法をさだめ、琉球の役人及び、軍備に要する人々以外の者には
いかなる種類の武器であってもその携帯が禁じられたのだった。
その訓令そのものは、今でも存在し、日本国明治政府の蔵する所である。
■明治政府の主張への反論①
1609年の島津氏による琉球侵略に関する事であるが、
一見、まともに見えて沢山の虚偽が持ち込まれている。
ちなみに、明治政府が主張するところの
琉球の上述の義務というのは、
嘉吉元年(1441年)以来、室町幕府より薩摩藩に与えられた琉球が
島津氏への年貢の義務を怠っていた事を豊臣秀吉が責め、
その支払うべき年貢の一部を朝鮮出兵の軍資金として供出せよと
言った事を琉球が半分しか履行しなかったという話である。
これについては、
①嘉吉元年に足利義教が島津忠国に琉球を褒美に与えると言ったという
文書が、薩摩藩にしか存在しない捏造くさい証拠である事。
②秀吉が琉球に朝鮮出兵の軍資金を要求したのは事実だが、
それは、島津氏に年貢を払っていないからではなく、
ただ、全国一律に大名に軍事費を出させようとしていただけ
このふたつの理由で充分であろう。
詳細については、こちら見て頂きたい。
■家康は懲罰で島津氏の琉球侵略を許可したのではない
島津氏の琉球侵略を黙認したのが徳川家康であるのは事実である。
が、その理由は、島津氏が言うように、島津氏に琉球が年貢を
出さなかったなどという事ではない。
徳川家康(1542~1616)ウィキペディア出典
太閤秀吉がやり散らかした朝鮮出兵は、戦場が朝鮮半島に
なったものの、実際には中国征服をたくらんだものであり、
明軍とも交戦する事になった。
1598年に、秀吉が死んで日本軍は大陸から引き上げたが、
それにより朝鮮及び明国との国交は断絶し、日本は、
中国の陶磁器や絹織物、漢方薬などが手に入らなくなった。
ただし、琉球だけは日本側に付かなかったので、
明との関係は良好で朝貢貿易も継続していた。
徳川幕府としては、島津氏の琉球侵略を黙認し、
琉球を介して中国の物産を輸入する事にメリットがあった
という事である。
それともう一つ、幕府の権威を高める為に、
後の朝鮮通信使と同じく、琉球を幕府に挨拶にくる異国として
利用するという目論見があった。
朝鮮通信使・朝鮮聘礼使 ウィキペディア出典
これは江戸立てと呼ばれた琉球から徳川幕府への使節になり
江戸時代を通じて18回も派遣され琉球国の財政を
圧迫する事になる。
江戸立て、1832年の琉球使節 ウィキペディア出典
いずれにせよ、徳川家康が島津氏の琉球侵略を
許可した背景には、中国との貿易の再開と、
異国を従える事による幕府の権威の強化があり
島津氏に年貢を払わない琉球国への懲罰などという
意味など微塵もありはしない。
そもそもが琉球が遥か昔から日本の属国なら
家康が琉球を異国として扱おうとは考えない
のではあるまいか?
■信憑性の薄い嘉吉附庸説に嘘を塗り重ねている
さて、明治政府の主張を通してみていくと、彼等が意図する、
一本の線が見えてくる、それは・・
琉球は、7世紀からみなみしまという名で大和朝廷に服していた→
みなみしま、琉球は嘉吉元年(1441年)より室町幕府より、
島津忠国に褒美として与えられた→琉球王が島津氏への年貢を怠ったので
徳川幕府に願い出て、許可を得て、懲罰として琉球を征討した。
こうする事により、明治政府は、琉球は日本の一部、
島津氏の支配下に入っても、討伐の許可は徳川幕府から得ているので
なおも琉球は日本の一部と言いたいのである。
みなみしまとは、琉球弧から台湾、フィリピンを含む広大な領域であり
そこから大和朝廷に来た人々が琉球人である証拠は無く、
それ以前に、1609年以前に、大和の支配が琉球に及んだ形跡はない。
嘉吉附庸論なども、薩摩以外に証拠がない与太話である。
琉球侵略は、中国貿易の富を求めた島津氏の侵略行為でしかなく
古来からの日本領である琉球が従わない為の懲罰などという理屈は
まるで当てはまらない。
秀吉も家康も、琉球は日本の一部という明治政府のエゴの為に
言ってもいない事を言った事にされているのである。