倭寇と戦う琉球の船
西暦1420年代に、武器を積みこまなかった為に
倭寇に皆殺しの目にあった琉球は、
進貢船に重武装を施します。
海に生きる限り、倭寇との戦いは避けて通れない
500年に渡る宿命だったのです。
時代が下って18世紀になっても、
清の力が衰えると、再び倭寇が勢いを盛り返しました。
困った琉球は薩摩からカノン砲と火縄銃をレンタルし、
5日余り合宿して火縄銃の訓練をしてから、
海に乗りだしています。
門中の士族の業績を書いた家譜には、
火縄銃で賊を何名も射殺して積み荷を守った話や、
海賊相手に、至近距離から大砲を撃ち合った
生々しい話が記録されています。
琉球側は二隻しかなく、倭寇は100隻以上の小船を
繰り出す事もあり、敗れた場合には、
積み荷は奪われ、乗組員は殺されるか、奴隷にされます。
進貢船の積み荷を守るのは、乗組員の義務であり
逃げる事は許されませんでした。
海の上では、生命どぅ宝思想は通用せず、
サバイバルしなければいけなかったのです。