新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

琉球に来たのは源為朝ではなかった??

琉球王朝の歴史を記した中山世鑑では、
琉球を統一した最初の王は、源為朝の子である
尊敦(そんとん)後の舜天であるとされます。


これは16世紀からの伝承で、伊豆大島に
流された源為朝が、さらに暴風雨で琉球まで
流れ、北部の運天港に漂着したという話です。


この時、小船で運天港に漂着した
為朝の鎧武者姿に島の豪族は
びっくりしてひれ伏し草が風になびくように
配下になったとされます。


しかし、為朝は、どうして運天港に漂着したのでしょう?
運天港は古くからの港で水深が深く大型の宋船が停泊して
いるような大きな港です。


小船で漂着したなら、
どこにでも上陸は可能な筈で
選んで運天港というのも奇妙です。



それに、いかに当時の琉球の文化が低くても
たかだか、2~3名の落武者を殺すのは訳は無いでしょう。


なぜ、草がなびくようにひれ伏したのか?
その説明には無理があるように思います。


しかし、この運天港を偶然ではなく
最初から選んだと考えると、為朝以外に、
琉球に来た人々の姿が浮かび上がってきます。

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