隋にボコボコにされる琉球
琉球が中国史に出現する最初は
隋(581~618)という王朝の時代です。
隋は300年ぶりに中国を統一した強力な王朝でしたが、
二代目の煬帝が贅沢と戦争で
民を苦しめたので
たった二代で滅びました。
この、隋の煬帝は琉球も服属させようと、
都合3回に渡り、船と兵を出しています。
一回目は、到着しても言葉が通じないので、
琉球人1人を捕虜にして連れ帰り、
二回目は、この通訳を介して服属するように言ったが
従わないので、布鎧を戦利品に持ち帰ります。
その頃、隋には聖徳太子の使いで
小野妹子が来ていましたが、
その布鎧を見て、
「これは屋久の人が使うものだ」
と言ったそうです。
西暦610年頃、煬帝は3回目の船を派遣します。
今度も琉球は服属しなかったので、隋軍は上陸して
殺戮を繰り返しながら、王城まで進軍、
王を殺し、宮殿を焼き払い、
数千名の捕虜をつれて
帰還したとあります。
この記述が本当に琉球を差すのか台湾を差すのか、
また、全然、別の国なのか定かではありませんが、、
当時、人口2万人前後の琉球から数千名も捕虜を
取ったなら、琉球の発展は相当速度が落ちたでしょうね。