新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

勝連城に凱旋門があった?

凱旋門と言うとアーチ型の門で
パリのエトワール凱旋門が最も有名ですが
そもそも凱旋門の発想は古代ローマ時代からあります。


さて、そのような凱旋門ですが勝連城にも、
それと思わしきアーチ門が存在していました。

現在は失われていますが、発掘された破片がこれです。


どうでしょうか?唐草文様のレリーフが見えますよね?


実は、琉球は日本では珍しいアーチ工法が発達した土地で、
無数の橋やグスクの門にその形式が見られます。

中国の石造建築の流れを汲んでいるとも言われ、
石造建築において琉球は日本より進んでいたのです。


ところが、勝連城のように
アーチ門を唐草のレリーフで飾った
というようなグスクは、

ほかにはありません。


勝連城は10代の按司である阿麻和利の時代に大きく増築され
この唐草文様の門も、その時造られたと考えられます。


阿麻和利は、広く海外と交易をして富を蓄えた人物であり、
勝連を発展させた名君として地元では英雄です。


もしかして、阿麻和利は、
海外からもたらされる情報から
凱旋門に関する情報を伝え聞き、

「新しい建築様式」として
自分が構える城に、

それを取り入れようと
思ったのではないでしょうか?


これには、何の証拠もありませんが、
どうして、グスクのアーチ門をそこだけ
唐草文様で飾ろうと思ったのか?


それを考えると特別な意味が
あったような気がしてならないのです。


阿麻和利は、その最期はライバル護左丸を討伐したものの、
さらに首里王府に反旗を翻して
敗れ討ち取られてしまいます。

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