琉球は中国に操られていたか?
琉球の歴史というと、下の絵のように、
琉球は中国に操られていたんだ!
と語る人に出くわします。
しかし、それは全くの出鱈目です。
例えば、それらの人達は、
「蔡温や謝名親方は三司官で
中国系ではないか?」
と言いますが、
琉球の最高行政職である三司官は、
400年で100名程出ました。
その中で中国系の三司官は、
たった、二人しか出ていません。
それが蔡温と謝名親方です。
しかも、蔡温の父は首里の人で
蔡家には養子で入っていて蔡温は
純粋な中国系ではありません。
おまけに謝名と蔡温の間は、
130年程も時間が空いています。
この間は、どうやって中国は
琉球を操縦したのでしょうか?
また、久米村の人々は、
久米村に籍を置く限りは、
三司官になれない決まりになっていました。
これは、首里の人間を差し置いて
中国系が国政に影響を与えるのを防ぐ為です。
そして、このように久米村の影響力を
制限しようと考える王府に対して、
海の向こうの清も明も
文句をつけた事は
一度もありませんでした。
琉球の政治というのは、琉球人が
主体となって行っていたのであって
中国のコントロールの中にあった
と言う事はありません。