新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

新しい沖縄歴史教科書を造る会の人気ブログ記事

  • 琉球最古の画家 自了

    琉球の歴史に残る最古の画家の名前は、 城間清豊(ぐすくま・せいほう) と言う人で、号を自了(じりょう)と言います。 1614年に産まれた彼ですが、 生まれつき、耳が聞えず、 しゃべる事も出来ない という障害を持って産まれました。 両親は清豊の将来を悲観して、 彼には学問を教えませんでした。 ところ... 続きをみる

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  • 日本人になる為の戦い 日露戦争と沖縄県民

    差別を解消すべく、大陸に渡った二千名の沖縄県人 日清戦争における日本の勝利は、清国に幻想を抱いていた 沖縄県民を完全に日本化へと向かわせました。 すでに日清戦争から志願兵として屋部憲通等が参戦していましたが 1898年、日本本土に遅れる事25年で沖縄県と小笠原諸島に、 徴兵令が施行される事になりま... 続きをみる

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  • 琉球王朝にもあった正妻と側妻の争い

    尚貞王(1669~1709)の時代の事です。 尚貞王は、中山世譜を編纂させるなど、名君だったのですが、 歳を取ってから、真壁という夫人を迎えて、 その美貌に夢中になります。 その頃、尚貞王には、 正妃の奥間という女性がいたのですが、 勝気な性格の真壁は奥間と衝突します。 本来なら国王が、これをまと... 続きをみる

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  • 亡命琉球人(脱清人)について

    明治政府による国際法無視の琉球併合に抵抗して、 当時の清朝に亡命して救援要請と抵抗運動をした琉球士族を 一般には脱清人と言います。 しかし、清に脱出するというのは、琉球を強制併合した 明治政府からの見方であり、当時の琉球人にその感覚はなく、 亡命琉球人と呼ぶ方が正確です。 琉球人の清国への亡命は琉... 続きをみる

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  • ・冊封使になりたくない! あの手、この手で逃げる使者達

    冊封使は、皇帝の名代で朝貢国に出向する名誉な仕事です。 しかし、陸続きの朝鮮やベトナムのような国と違い、 海賊や遭難の危険がある琉球への使者は、 皆嫌がって、行きたがりませんでした。 とはいえ、 「琉球行きは死ぬかも知れないので辞退します」 は、皇帝の忠実な家来として決して言ってはいけないですし、... 続きをみる

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  • 琉球士族のステータス 家譜 家系図

    家譜(かふ)系図(けいず)は、それぞれ異なるものです。 家譜は、先祖の履歴書、系図は先祖から今までの血統になります。 平たく言うと系図は家系図です。 琉球の場合、家譜も系図も、1609年の 薩摩侵略以後にもたらされます。 それまでは、誰々の先祖が誰という事に 琉球人は関心が無かったのです。 168... 続きをみる

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  • 薩摩藩が琉球に課した税金の重さとは?

    琉球国にのしかかる島津氏の年貢とは幾らか? 1609年以降、薩摩藩の支配下に入った琉球には、 重い年貢が課せられた。 しかし、その年貢について具体的な数値が出ている資料はなく 最近では、大した事のない金額であったという話まである。 では、実際の所、島津氏が課した年貢とは幾らだったのか? 1609年... 続きをみる

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  • 琉球のグスクと日本の城の決定的な違い

    日本の城と琉球のグスクは、 一見石垣に周囲を囲まれていて同じに見えるが、 実は、その内部において、大きな違いがある。 琉球のグスクは、大小問わずその内部に 聖域を抱え、御イベという御神体の石が必ずあるが 日本の城には、そのようなものはないのである。 それは、グスクが発生した頃、そこが本来は 防御拠... 続きをみる

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  •  琉球国滅亡に庶民は無関心だったのか?

    明治政府と階級闘争史観で消える民と王の絆 琉球国時代、多くの農民は圧政で搾取され続け、 明治政府の支配を喜び王国が崩壊しても無関心であった。 多くの歴史書には、そのように書かれています。 確かに当時の琉球人の多くが貧しく重税にあえいでいた というのは事実ですが、それはただちに王制の打倒、 明治政府... 続きをみる

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  • 琉球、辮髪の強制に怯える

    西暦1644年、山海関を超えて、北京に入城した 満州族は、国号を清として、新しい中国の支配者になります。 そして、その手始めとして、敵味方を区別する為に、 漢民族に辮髪を強制しました。 辮髪は平たく言えば、ラーメンマンみたいな髪型で 頭髪を額の部分だけ残し、 周辺は剃り、伸びた毛は 三つ編みにして... 続きをみる

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  • 琉球処分の側面

    「琉球処分は一種の奴隷解放なり」 と言ったのは伊波普猷ですが、この言葉から 琉球の人民は王府の圧政から日本によって解放された という印象が造り上げられました。 しかし、それは極めて一面的な見方に過ぎず、 沖縄県民としては鵜呑みに出来ない事です。 実際には、当時の日本は、清国との間で国境線を巡る 駆... 続きをみる

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  • ☆李氏朝鮮と琉球の繋がり

    歴史認識を巡り、ギクシャクしている韓国と日本ですが、 琉球と朝鮮には、日本とは違った繋がりがありました。  西暦1592年、8月、秀吉が朝鮮出兵の軍を起した頃、  朝鮮半島と中国の国境沿いにある平安道の義州で  驚くべき風聞が出回りました。  「秀吉軍の混乱に乗じて、琉球人が  秀吉を暗殺したこれ... 続きをみる

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  • 盲目的に従順ではなかった琉球の庶民

    自らの利益を考え行動する庶民 私達は、いつも前時代をこのように錯覚します。 「昔の人には義務教育もないし、知識も乏しいから、 ただ権力者の言うままに働いて搾取されていたに違いない 可哀想な事だなあ・・」 しかし、これは間違いです。 義務教育がないから知識が乏しいという事はありません。 長年生きてい... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成8

    薩摩藩と明治政府を強引に結びつける破綻した根拠 ドヤ顔をした明治政府の琉球併合に関する正統性の屁理屈は、 なおもとどまる所を知らない・・ すでに古代において、琉球国が大和朝廷に服従していたという 論拠もあやふやな事を主張した明治政府は、 次には、琉球が薩摩に支配されていたから すなわち日本領である... 続きをみる

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  • 琉球士族の天国と地獄

    琉球の士族は大きく2つに分かれます。 総地頭、脇地頭のように、御殿、殿内、親方と呼ばれ 領地を持っていたり役職について俸給を受ける高級士族と いつ空くとも知れない王府のポストを狙い 農業や内職に勤しむ平士族です。 琉球処分における、なんら国際法に基づかない 明治政府の強制併合は琉球士族の反発を招き... 続きをみる

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  • ■尚巴志の直筆?部下の安全を頼む手紙

    琉球の統一者、尚巴志は書状も形式ばったものが多く そこから個人を窺い知るのは難しいものがあります。 しかし、「志 布志 阿多文書 」 と呼ばれる八通の 書状に、代主という肩書で尚巴志の手紙が、 含まれているのではないか?という説があります。 その内容は以下のような感じです。 「先だっての私の拙い書... 続きをみる

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  • 琉球処分前後、小学校は恐怖の場所だった。

    琉球国の時代、教育は士族の子弟、 そして男子だけに限られていました。 上流階級の王妃ですら文盲という事が 珍しくなかったのです。 琉球処分後、明治政府は教育の拡充を 掲げて、小・中学校を造りましたが 琉球処分から9年経っても、就学率は 全国平均の47%に過ぎませんでした。 この理由は、これまで琉球... 続きをみる

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  • 首里城に埋蔵金が存在した!!

    琉球は二年に一度、 中国に進貢船を送っていましたが、 ※接貢船というお迎えの船も 出したので事実上は毎年 これには莫大なお金が掛かりました。 進貢というのは、中国皇帝へ忠義を示す オフィシャルなものなので 「すみません、今年は お金ないので伸ばして下さーい」 というような言い分が一切通りません。 ... 続きをみる

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  • 琉球に味方して薩摩と戦った日本人がいた

    今のような琉球移住ブームが起きる400年前 琉球は、中国や東南アジアへの窓口として やってくる日本人が多くいました。 その中の一人に 山崎二休守三という人がいます。 彼は越前(福井県)の産まれの医者でしたが 琉球にいけば中国の最先端医学が学べると 伝え聞き琉球にやってきました。 ところが勉強で来た... 続きをみる

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  • 琉球に来たのは平家だった??

    運天港にやって来たもの、、 それは壇ノ浦の戦いで滅んだ 平家の落武者達でした。 落武者と言っても、平忠盛の代から日宋貿易で 富を蓄え、航路にも詳しかったインテリの平家は 裕福でありました。 そこで源氏に敗北した後、 再起を狙う土地を 探して、船を仕立ててたのです。 そして宋船に金銀財宝を積んで 最... 続きをみる

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  • 1450年に琉球に伝来していた初期の鉄砲

    鉄砲というと、戦国時代に種子島に伝来した 火縄銃が有名ですが、 実は、それ以前から初期の鉄砲は、 琉球でも存在が確認されていました。 当時の中国は、既に刀と槍の戦いから 火砲を使った火力の戦争に移行しており、 以前は劣勢だった騎馬民族に対して、 防御戦で優位に立っていたのです。 飛び道具は敵を寄せ... 続きをみる

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  • 琉球の身分制度

    琉球国には、以下のように大きくわけて、5つの身分がありました。 国王と王族は、最高の地位にあったのですが、実質権力がなく、 政治は、三司官と、その下位にある、表十五人という 組織で動かしていました。 上級士族と下級士族の壁は厚く、三司官や表十五人のような重要職には、 下級士族が昇進する事はほぼ不可... 続きをみる

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  • ・混乱の元 第一尚氏と第二尚氏

    琉球史を複雑にしているのは、 第一尚氏と第二尚氏という 数字の連続性がある 二つの王朝の存在です。  しかし、この第一尚氏と第二尚氏の分類は、 歴史学的に根拠がある事では全くありません。  そもそも、この二つの王朝は姓が同じなだけ、  血統の共通性も無ければ 王朝を構成している人物も全く別、、  ... 続きをみる

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  • 林世功世紀の自決

    北京にいた林世功 1879年10月以来、琉球を脱出し北京に滞在していたのは 向徳宏(幸地朝常)を筆頭に、毛精長、蔡大鼎、林世功の面々でした。 脱出直後から、事態は先島分島案により 琉球が固有の領土を日清によって分割されるという情報に接し、 その阻止の為に、嘆願を繰り返していたのです。 清国官吏から... 続きをみる

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  • 琉球国の国歌 石なぐの歌

    日本の国歌は君が代ですが、では、琉球国の国歌はなんでしょう? 「琉球に国歌なんてあったのか?」 実はあったのです、お目出度い席では必ず歌われた 賀歌としての国歌、それが石なぐの歌です。 石なぐの 石の大石 なるまでも うかきぶせみしょり 我御主がなし 意味は、石投げ遊びの小石が大石になるまでの長い... 続きをみる

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  • ■琉球の人身売買

    製糖産業や、ウコン・タバコ栽培等によって 換金作物が誕生して、産業が発生し 貨幣が沖縄全域を回るようになった1667年。 王府は、それまでの労働力提供の 夫役をやめて銭でこれを支払うように命じます。 年貢は変わらず物納でしたが、 夫役は銭納になったのです。 夫役はこればかりではなく、 村の総地頭や... 続きをみる

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  • ネトウヨに似てる?末広鉄腸

    ネットで「琉球」と入れて検索すると 出てくる琉球への罵詈雑言の数々 特に基地問題と沖縄のアイデンティティ問題に 関しての書き込みは日本の言い分を押しつけ 反論に対しては、スパイ・工作員と レッテル貼りをする独善の一言です。 そのような琉球ディスなネトウヨにも、 遥か昔に元祖と呼べる人物がいました。... 続きをみる

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  • 琉球は薩摩の奴隷だったのか?

    西暦1609年以来、琉球は薩摩の島津氏に侵略され 以後は、鵜飼いの鵜のように富を吐きだして 薩摩に与えていたという話があります。 では、実際には、琉球に薩摩は どのように干渉出来たのでしょうか? 実は、薩摩から琉球に派遣されて来た 在藩役人は10名前後しかいません。 植民地帝国のように総督がいて、... 続きをみる

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  • 琉球は差別語ではない

    最近は琉球という言葉は 中国から付けられた屈辱的な 名前だから使うのは良くないという 根拠のない話があります。 しかし、それは悪意のある曲解であり、 そもそも琉球という名前には 悪い意味はありません。 南海に浮かぶつるつるした宝玉 というのが琉球の意味です。 中国は大抵、周辺国には蔑視した名前をつ... 続きをみる

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  • 駱駝を輸入しようとした琉球

    歴代法案は、琉球と中国、周辺のアジアとの外交文書を 編纂した今でいう外務省の公文書です。 その中には、清の時代に琉球が 駱駝の輸入を許して欲しい と書いたものが残っていました。 牛や馬ではなく駱駝です、 一体どうして駱駝など欲しがったのでしょう? これは推測ですが、琉球人は北京に上った時、 駱駝の... 続きをみる

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  • 意外に質素、琉球国王の普段の食事

    王候貴族の食事というと、万漢全席のような 豪華なものをイメージします。 しかし、こと、琉球国王となると、儀式の時は別として、普段の食事は 質素なものだったようです。 、 まず、①ご飯、②味噌汁(具はよもぎかシソか若葉・鰹出汁か醤油出汁) ③ウマカイと呼ばれる、島野菜とかき豆腐、それに魚か肉団子を加... 続きをみる

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  • 沖縄の文化に影響を与えた久米三十六姓

    久米三十六姓とは、今から700年前頃から、 当時、浮島だった那覇に住みついて商業に従事した中国人の集団です。 彼等は、一般の中国人のように土地にしがみつく事がなく 広く外の世界に活躍の場を求めていった人々で客家(ハッカ) と呼ばれる事もあります。 琉球は、この客家の人々を利用して、東南アジア海域の... 続きをみる

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  • 首里城の建材が変わった!その切実な理由とは

    首里城が、戦乱や火災で何度も焼けた事は よく知られていますが、 それ以外にも、20年周期で修理と修復が あった事は余り知られていません。  巨大な木造建築である首里城は、 以前はカシの木で作られていましたが、  カシの木は、高温多湿の沖縄では腐食に弱く  20年では腐り始めて建材を取り替える 必要... 続きをみる

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  • ☆那覇港を守る2つの砲台

    那覇には、屋良座森と三重城という二つのグスク跡があります。 しかし、この二つのグスクは、一般的なグスクとは違います。  両方のグスクは長方形に石積みがされその内外には15個の銃眼がありました。  二つのグスクは那覇港の外海に向かって対になり  海賊の侵入を撃破する砲台だったのです。  実際に、西暦... 続きをみる

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  • 忘れさられた偉人 池城安規

    池城親方安規は、琉球処分の前段階で、 理不尽な明治政府の要求に 最期まで、抵抗した三司官の1人です。 1829年、首里の名門、池城殿内に生まれた安規は、 40代を迎える頃には、三司官として琉球の日本併合という、 過去500年の歴史で最大の難問に当る事になりました。 1875年、琉球の日本化を図る、... 続きをみる

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  • 沖縄の歴史年表

    日本史の一部としての沖縄を覆し、あくまで沖縄視点から、 歴史を見てみると、年表はこうなります。

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成5

    言語の近さを沖縄支配の根拠にする明治政府 1879年10月11日に東京タイムスに掲載された明治政府の 琉球併合における行動の正当性は、一重に沖縄は日本なのだから、 日本領という鼻もちならない傲慢さに貫かれている。 しかし、ただ、闇雲にそう言うだけでは意味を成さない為に、 明治政府は、歴史に貫かれた... 続きをみる

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  • 琉球の農民は貧しかったのか?

    搾取される農民可哀想という史観 いわゆる進歩史観という社会主義的な考えが全盛の頃は、 全ての歴史は、支配者による被支配者の搾取で語られていました。 しかし、それは、富裕層を打ち倒し労働者の政権が産まれるのが 歴史的必然と考えられたイデオロギーの産物でしかありません。 すでに江戸時代は再考され、 「... 続きをみる

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  • 石川啄木と山城正忠

    夭折の歌人と山城正忠 山城正忠は、沖縄出身です。 本業は歯科医師ですが、歌人でもあり若い頃に上京し、 東京で与謝野鉄幹・晶子に師事していた経歴を持ちます。 山城正忠(1884~1949) この山城正忠、あの歌人の石川啄木と親交がありました。 石川啄木(1886~1912) 君の国では今でも、人が死... 続きをみる

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  • 沖縄県営鉄道から見える事

    間切が消滅し経済が一体化する沖縄 明治12年に沖縄県が設置されると、 それまで県内の自由な往来を妨げていた間切関所が廃止されます。 それ以前は限られた人以外は間切の外に出る事は出来ず 多くの農民は生まれた間切を出る事なく一生を終えていました。 しかし、産業を育成し近代化する過程で間切の存在は すで... 続きをみる

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  • 沖縄に参政権は時期尚早?これに反論する沖縄時論

    琉球新報が主張した参政権時期尚早論 沖縄県においては、日本に併合されてから、 実に33年、明治45年に至るまで代議士を帝国議会に 送る事が出来ませんでした。 その理由として、琉球新報を牙城とする高級士族階層の知識人は、 「沖縄では、現在も特別制度が施行され 他府県の一般制度と同じではない 参政権の... 続きをみる

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  • 杣山問題が起こした沖縄の自由民権運動4

    沖縄クラブに集結した自由民権の闘士達 さて、あまり知られていない、沖縄クラブに集結した、 自由民権運動の闘士を紹介してみましょう。 ※すでに出ている謝花昇は除きます。 ・当山久三・・・・金武村出身、沖縄師範学校卒、沖縄移民の父。          民権運動の挫折後、以前から考えていた沖縄移民構想を... 続きをみる

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  • 琉球王朝事件簿 ・幻の陶工の系図を巡る改竄事件(3)

    島袋家は、五男いて、 いづれも裕福な暮らしをしていました。 縋り入りの話を聞いた島袋家では、 「花城・渡口家は除いて島袋家だけで、 縋り入りをしたい、報酬はもっと沢山出すから」 と欲をかいた申し出をしました。 仲松と池原は、より儲けがありそうな 島袋家の提案に乗り、花城、渡口家を 締め出す方向で動... 続きをみる

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  • 弓太郎、県知事を殺害しようとして謝花昇に止められる

    明治31年、台湾で警察官として 先住民討伐に参加し 負傷した新垣弓太郎は 一度沖縄に帰り、再び上京して 東京で下宿屋を開きます。 そこにやってきたのが沖縄で、 奈良原県知事と対立していた 沖縄県人の謝花昇(1865~1908)です。 謝花は沖縄の自由民権運動の提唱者で 沖縄県民にも参政権を与えよと... 続きをみる

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  • アジアの大物と交流を持った沖縄の国士

    沖縄の偉人というと、 全てが反戦平和思想 というのは正しくありません。 それは平和が嫌いという意味ではありませんが 大義の為に己の命を 平然と投げうつ 国士もいたのです。 その男は、1872年に南風原間切に産まれ 中国革命の父、孫文に献身的に協力し 中国国民党の総統、蒋介石をかつて部下に持ち 日本... 続きをみる

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  • 平敷屋朝敏はどこが凄いの?後編

    平敷屋朝敏は、女性問題で 首里を追放され、一時期、 地頭をしていた平敷屋村に引っ込んでいます。 しかし、ここで貧しい百姓の暮らしぶりを見た 朝敏の作風に大きな変化が起きます。 美しい絵空事の悲恋ではなく、 歴史に題材を取り 本当にあった悲恋を掘り起こし ままならない世の中に 理不尽に引き裂かれる ... 続きをみる

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  • 魔夜峰央的・・?美少年大好き琉球

    琉球においては、美少年は最強でした。 国王の側近を務めた美少年集団、 小赤頭(こあくかべ)も、 高級士族の子弟から選抜され、 諸芸に秀でてかつ容姿端麗 であるという事が条件でした。 その姿は男でも女でもない 中性的なユニセックスな 衣装を着て 首里城で行儀見習いをしています。 江戸時代には、この小... 続きをみる

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  • 帝国主義だった琉球

    佐敷王統は、国内統一で余った エネルギーを更に北へと向けます。 そのターゲットになったのは、 奄美大島や喜界島であり、 そこには、島津氏の代官である 千竈(ちかま)氏がいました。 1450年代には、琉球は 奄美大島を千竈氏と 奪いあっていたようで 尚巴志の息子である 尚布里(しょう・ふり)が 奄美... 続きをみる

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  • 尚巴志の艦隊 北山の度肝を抜く

    1406年に中山王、 武寧を討った尚巴志は、 父を中山王に立てます。 これが佐敷王統の始まりになります。 尚巴志は皇太子の身分で従わない 中山の按司を征伐しつつ、那覇港を拡張して 首里城を増築していきます。 1416年、国力の充実を 実感した尚巴志は 北山を攻め滅ぼす勅を下します。 時の北山王は、... 続きをみる

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  • 俺達ゃエリート首里の五大門閥

    三国志の世界にも、袁家のような名門があるように 琉球にも、五大門閥と呼ばれる エリート士族がいました。 その五大門閥とは、 向氏・翁氏・馬氏、毛氏(池城)毛氏(豊見城) という5つの門閥を意味しています。 向氏というのは王家の尚から分家した人々で 元々の王家です。 それ以外の四家は先祖の手柄や、 ... 続きをみる

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  • ジョン万次郎になれなかった琉球人

    ジョン万次郎と言えば、漁の途中で遭難し、 アメリカの捕鯨船に助けられて通訳として 活躍した人として有名です。 しかし、この万次郎の遭難から20年後 あわや、琉球の万次郎になりかけた人がいます。 1866年(慶応2年)那覇の人、奥里は、 知りあいの小渡という男に騙されて、 奄美大島の2人の漁師に売り... 続きをみる

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  • 琉球に来たのは源為朝ではなかった??

    琉球王朝の歴史を記した中山世鑑では、 琉球を統一した最初の王は、源為朝の子である 尊敦(そんとん)後の舜天であるとされます。 これは16世紀からの伝承で、伊豆大島に 流された源為朝が、さらに暴風雨で琉球まで 流れ、北部の運天港に漂着したという話です。 この時、小船で運天港に漂着した 為朝の鎧武者姿... 続きをみる

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  • 戦国時代の琉球人はどんな姿をしていた?

    琉球の戦国時代は、1320年頃から、 1429年まで、およそ100年に及びます。 その間、琉球は北山、中山、南山の3つの勢力に 別れて、戦っていましたが、彼等はどのような 姿をしていたのでしょうか? もしかすると、上のようなイメージかも知れませんね。 でも、それは歴史的にはブ―なのです、実際には、... 続きをみる

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  • 450年前、繁栄する那覇

    琉球は、黒潮の通り道であり、商売や遭難、或いは、 お尋ね者という多種多様な民族が出入りしました。 14世紀に最初にやってきたのは福州の客家の人々 それから、同時期に遭難した朝鮮の人達、大和人 少し遅れて、15世紀には東南アジアのルソンや、 シャム、パレンバンというような所からも人が来ました。 16... 続きをみる

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  • 琉球美人の条件

    どのような国にも美人の条件という ものがあります。 ある国では、首が長い事が美人の 条件だったり、太っている事が 美人の条件だったりして 美人の基準は、とても多様です。 さて、琉球にも美人の基準があり、 それは、以下の3つでした。 ①腰がくびれている事 ②目が丸くて大きい事 ③働き者である事 腰が... 続きをみる

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  • イケメン士族 真加戸さんに聴く

    琉球人の髪型というと、髪を団子状態にして 頭の上でまとめるヘアスタイルを連想する方も 多いと思います。 あれは、カタカシラと言って、 13世紀頃にはすでにあったと言われる 琉球男性のヘアスタイルでした。 元々は、片頭というだけあり、 頭の左側に寄っていたのですが、 17世紀頃からは頭の上にまとめる... 続きをみる

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  • 倭寇と戦う琉球の船

    西暦1420年代に、武器を積みこまなかった為に 倭寇に皆殺しの目にあった琉球は、 進貢船に重武装を施します。 海に生きる限り、倭寇との戦いは避けて通れない 500年に渡る宿命だったのです。 時代が下って18世紀になっても、 清の力が衰えると、再び倭寇が勢いを盛り返しました。 困った琉球は薩摩からカ... 続きをみる

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  • 琉球の学校制度

    琉球王朝は、中国と薩摩の間でバランスを取りながら 存続するしかなかったので、人材の育成が急務でした。 その為に学校機構が整備される事になります。 もちろん、門閥の上級士族がいるので、 自由競争では無かったのですが、 才能があれば、中程度の行政官僚には成れました。 (それでも大変な努力が必要ですが・... 続きをみる

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  • ベトナムの抗仏運動を燃え上がらせた 琉球血涙新書

    潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)は、 1867年に産まれたベトナムの独立運動家です。 彼は、10代の頃から、当時、ベトナムを植民地支配していた フランスからの独立を考えて活動していた人物でした。 彼は、フランスの統治からベトナムが独立を回復するには、 西洋の近代化を学ばねばならないとした先覚者であり... 続きをみる

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  • ☆琉球に産まれた近代法典

    琉球国時代というと、時代劇のイメージで 「庶民の人権など顧り見られなかった暗黒時代」だと 思うかも知れませんが、それは間違いです。 琉球においては、それまでの経験則に頼った裁判を一新するべく、 1786年に伊江朝慶、幸地良篤が奉行になり琉球初の 近代法典である琉球科律が造り上げられました。 ※写真... 続きをみる

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  • ・進貢船とは軍艦だった。

    琉球と言えば進貢船という程にセットの感のある進貢船ですが、 この船は軍艦だった事をご存じでしょうか?  元は、明の時代に海賊対策として省の海軍に配備された 払下げの船で、 大きさは550トンで、 収容人数300名という大型船でした。  軍艦とは言え、明王朝は武器まではくれなかったので、  琉球は装... 続きをみる

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  • 琉球王と藩主はどう違うのか?

    琉球王は、薩摩や幕府から 任命されてなるものではありません。 その任命者はキミテヅリの神であり 即位式を経て王になります。 それは、琉球が独自の王権であった 証明であり、 天皇によって、支配権を与えられた 徳川幕府や、幕府に統治権を 認められた薩摩や他藩とは存在が 大きく違うのです。 にほんブログ村

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  • 地割制が琉球の発展を阻害したのか?

    地割制とは何か? 地割制は琉球国において、 租税徴収の基礎となった制度であるとされる。 すなわち、王府は各間切、各村に住む住民に土地を割当てて、 そこに年貢を課し、厳しく取り立てる事によって 財政を維持したというのである。 また、王府は土地の私有を認めず、同時に平等を担保する為に、 7~8年ごとに... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成6

    信仰や生活習慣に手を突っ込む明治政府 1879年、10月11日に東京タイムスに掲載された、 琉球併合に対する明治政府の正当性の主張は、 次に、沖縄の信仰や生活習慣、文化に渡っていきます。 もはや、なりふり構わず、何でも似ていそうな部分には 手を突っ込んでしまえという意図が見えるものですが、 それは... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成1

    琉球の強制併合前後から歴史を造り始めた明治政府 琉球を併合するという意志を固めた明治政府ですが、 そこには、当然、冊封国を失う清朝の反発と、 自治を失う琉球国の反発が予想されました。 それに対応する為に、明治政府は、これまで、 誰も唱えて来なかった、琉球は古来日本の一部である という理論武装を大急... 続きをみる

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  • ■東京で行われた琉・日・清の駆け引き

    後に尚泰侯爵の邸宅になる飯田橋の琉球藩邸に 幸地朝常、与那原良傑、池城安規が入ったのは 明治8年、9月27日頃の事だ。 近くに靖国神社があり、皇居にも近い、 宿敵である大久保利通が詰めていた内務省は、 右の丸で囲んだ辺りにあり、 池城親方は、明治8年の3月~5月、 ここに8回通って大久保と琉球の処... 続きをみる

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  • 今と変わらぬ、いがみ合う沖縄人

    沖縄クラブを追いつめたのは同じ沖縄人 謝花昇が発起人となって始めた沖縄クラブは南陽社という 商社を起こし、肥料や文房具、沖縄時論という新聞を発行しつつ 奈良原県政を痛烈に批判していきました。 それは、もちろん奈良原の弾圧の対象になるのですが、 それより何より、激しく謝花等沖縄時論を攻撃したのは、 ... 続きをみる

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  • 親日派と見られた毛鳳来の決断で琉球分割条約破れる

    再び甦る琉球分割の悪夢 林世功の自決、そしてイリ条約の締結により、一度は廃案となった 琉球分割条約(先島分島案)ですが、それは日清間に軍事的な緊張を もたらす事になります。 領土問題の棚上げは、武力による状況解決の道を開くと、 日清双方は恐れ、日本では清国脅威論が盛んに論じられました。 李鴻章が再... 続きをみる

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  • まるでスパイ映画、水面下で戦う日本政府と亡命琉球人1

    不謹慎と思われるかもしれませんが、 琉球処分前後の頑固党と明治政府の情報戦は まるでスパイ映画のようで面白いです。 映画なら、どんなに派手でもフィクションですが、 こちらは本当なので感慨の深さも半端ではありません。 明治政府、琉球処分を断行、そこからドラマが始まる 1879年、4月4日、廃琉置県は... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動5

    廃藩置県のやり直しを求める公同会運動 1872年、日本本土の廃藩置県に遅れる事1年で 琉球国は琉球藩にされる事になります。 これは、明治政府が国内の藩に琉球を模したものであり、 形式的な措置でした。 琉球藩になると同時に、琉球の支配権は、 鹿児島県から明治政府に移行し、琉球の外交権が停止 国王尚泰... 続きをみる

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  • ■かなり変則的だった琉球の王位継承

    国王の家柄と言えば、 当然、血縁絶対の長子相続と思われがちですが、 実際にはそう簡単でもないのが歴史というものです。 琉球国も例外ではなく、長子相続から、 兄弟相続、祖父の時代別れた浦添尚家からの 相続とバラエティに富んでいます。 一応、正妃と側室では、正妃の子が正統とされ それは守られていますが... 続きをみる

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  • ■元の皇帝にアラビア文字で上奏文を出した琉球?

    琉球が初めて中国と公式交流を持ったのは、 1372年と言われています。 しかし、一方でそれよりも以前の元の時代にも 琉球から元の皇帝に上奏文が送られたという 記録があるようです。 そんな記録を残したのは、元末から明初の文人 陶宗儀(1329~1410)という人です。 彼によると、琉球から送られた上... 続きをみる

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  • 琉球、皇帝の衣装を無断で作り叱られる

    織金竜衣(しょっきん・りゅうい)というのは、 中国皇帝だけが、着用を許された黄色が主体の衣で、 模様として竜がびっしりと描かれていました。 黄色も竜も皇帝のシンボルなので、 琉球も大層そのデザインに憧れていました。 1471年、使節としてやってきた蔡璟(さいけい)は、 こっそり、針工と織金竜衣の生... 続きをみる

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  • 佐敷王統はどうして滅んだのか?

    佐敷王統は、一代の風雲児、尚巴志が築きあげ そして、60年あまりで滅んだ王朝です。 1406~1469年ですから63年の命です。 では、佐敷王統はどうして滅んだのかを 簡単に説明していきます。 ①王様が変わるのが頻繁すぎた。 尚巴志の後を継いだ王達が短期間で次々に 亡くなりました。 これでは、権力... 続きをみる

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  • 勝連城に凱旋門があった?

    凱旋門と言うとアーチ型の門で パリのエトワール凱旋門が最も有名ですが そもそも凱旋門の発想は古代ローマ時代からあります。 さて、そのような凱旋門ですが勝連城にも、 それと思わしきアーチ門が存在していました。 現在は失われていますが、発掘された破片がこれです。 どうでしょうか?唐草文様のレリーフが見... 続きをみる

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  • 隋にボコボコにされる琉球

    琉球が中国史に出現する最初は 隋(581~618)という王朝の時代です。 隋は300年ぶりに中国を統一した強力な王朝でしたが、 二代目の煬帝が贅沢と戦争で 民を苦しめたので たった二代で滅びました。 この、隋の煬帝は琉球も服属させようと、 都合3回に渡り、船と兵を出しています。 一回目は、到着して... 続きをみる

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  • 進貢船が中国に到着するまでの期間

    琉球から出た船が中国の福州に入るまでには どの程度の期間が掛かったのでしょうか? それは、最短で4日間と言われています。 意外に速いですよね? ただ、これは順調に行った場合で、 長期になると30日という事もありました。 これは航海しているというより 久米島で良い風を待っていたからです。 どうして久... 続きをみる

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  • 倭寇とバッティングした琉球その解決策

    琉球がアジアの海を縦横無尽に疾駆していた頃は 同時に海のギャング兼商人、倭寇の全盛期でした。 倭寇も黒潮と季節風を使い、アジアの海を 縦横無尽に駆け回った一団でした。 実際に何度となく琉球の船は襲われ、 積み荷を奪われ、乗組員皆殺しの目にあいました。 そんな倭寇の縄張りである朝鮮海域は、 彼等の巣... 続きをみる

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  • 首里城だけが西を向いている理由

    下の写真は、それぞれ、北京の紫禁城、韓国の景福宮、 日本の京都御所、沖縄の首里城の俯瞰図です。 こうして見ると、首里城だけが西を向いていて、 他は、南を向いているのが分かると思います。 古来、北極星は帝王の守護星とされてきました。 従って、中国の皇帝は北を背中にして星を背負う形で 南に向けて、宮殿... 続きをみる

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  • 伊是名王統の王様って何名?

    伊是名王統は、尚円金丸を初代とする王朝で 佐敷王統の尚徳王の死後にクーデターを起こして樹立され 1470年から、1879年まで409年続きました。 ほぼ、日本の戦国時代と江戸時代を合わせた長さがあります。 その王様の数は19名にも上ります。 徳川幕府でさえ、263年で15代に過ぎません。 中国では... 続きをみる

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  • ☆王府の役人の仕事風景とは?

    首里王府の役人達は、いつから登城して、  いつ帰っていたのでしょうか?  昔の事ですから、結構な重労働かと 思いきや、 そうでもなかったようです。  記録によると、仕事の開始時間は朝の10時、 そして帰るのが 午後3時だと書かれています。  さらに、月の出勤日数も12~3日程度と とても少ないもの... 続きをみる

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  • 錫の合板で覆われていた過去の首里城

    今の首里城は、木造建築の瓦葺ですが、 これは、 1715年に焼けたのを再建したものを参考にして  戦後の1992年に復元されたものです。 それ以前から首里城は、何度か焼けていて、  一番最初に建てられた頃にはどんな姿をしていたかは  実はよく分かっていないのです。  最初に焼けたのは、1456年と... 続きをみる

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  • ☆日本と重ならない部分が多い沖縄の歴史年表

    このように沖縄の歴史は、日本の影響を受けていない部分が多く、 日本史の地方史で教えると、混乱する事が多いのです。

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  • ☆1880年、世界から注目される琉球

    1879年の琉球処分ですべてが終わったかに見える 琉球の日本併合ですが、強引な日本の手法に対して 世界からも様々な意見が出ました。 清の改革派であった、駐フランス、駐イギリス公使 郭嵩燾(かく・すうとう)は、 清朝の琉球進貢を免除すると同時に、 国際法の視点から、世界が琉球の主権を尊重し 日本から... 続きをみる

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  • 神号を持つ、天皇と琉球王

    琉球では、伊是名王統の8代、尚豊王までは うちなあぐちでの神号がありました。 日本の天皇も54代仁明天皇までは、 やまと言葉の神号がありましたが、 どうしたわけか、その後は付けられなくなります。 琉球の場合は、薩摩の侵略後に、 神号は琉球人のアイデンティティを呼びさまし よろしくないという理由で薩... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成10

    ・拒否する権利がない奴隷契約書 1877年、10月11日付の東京タイムズに掲載された、 「日本と琉球~明治政府の声明」は、Ⅰ~Ⅳに分れ、 古代から琉球が日本の一部であったとする詭弁を並べているという事は、 過去9回のシリーズで述べてきた通りである。 さて、時代は降り、島津氏による琉球侵略の後、 す... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成4

    今でも流布する言語の共通点からの支配の根拠 明治政府が東京タイムズに発表した琉球が日本に所属する根拠は 大きく四点に分けられますが、三点目からは長文になる為に ここからは、適宜刻んで掲載する事を断っておきます。 さて、 Ⅰ:みなみしま時代からの大和朝廷への服属、 Ⅱ:地理的に中国より日本が近い と... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成3

    地理的に近いから日本領という珍妙な理屈 琉球弧の島々を沖縄本島にすり替え、古代から大和朝廷に琉球が 服属していたかのような詭弁をなし、神話的ロマンを持つ為朝伝説でさえ、 琉球王は為朝の子孫=天皇の臣下という悪辣な牽強付会をした明治政府は、 次に琉球と日本が地理的に近い事を領有の根拠とします。 地理... 続きをみる

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  • シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成2

    伝説まで沖縄支配の根拠にする明治政府 予想される清朝との琉球帰属問題では、 必ず、どちらが琉球との関わりが深いかが問題になる。 伊藤博文の懐刀、情報官僚である伊東巳代治は、 それを予見し、現在の琉球弧エリアをあらわすに過ぎない、 南島、みなみしまという、古代の大和朝廷の記述を、 沖縄本島に限定する... 続きをみる

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  • 明治政府要人の暴言録

    絶えず続く無理解と押しつけ 昨今の土人発言に限らず、日本人の沖縄への 無理解は、はるか140年前に遡ります。 ここでは、そんな身勝手な明治政府要人の言葉を 紹介していきます。 大蔵大輔 井上馨 明治5年 「かの国は南海に起伏している島で、 一方の要塞だ清との関係が曖昧なまま数百年過ぎたが、 維新の... 続きをみる

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  • 杣山問題が起こした沖縄の自由民権運動2

    帝国議会でも取り上げられた八重山開墾問題 没落した旧士族に職を与える名目で行われた杣山問題は、 沖縄のローカルな問題では治まりませんでした。 同時期に行われた八重山の原野を切り開く開墾事業でも、 同じく、土地の払い下げが行われましたが、 ここでも奈良原の恣意的な払い下げが問題になります。 明治27... 続きをみる

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  • 向徳宏の泣訴で小琉球国建国が断念される

    突如として沈黙を開始した清国側 1880年、10月21日、日本の先島分島案+日本の清国内での 通商の西洋列強並の待遇+宮古・八重山郡島に向徳宏(幸地朝常)を 擁立する小琉球国を建国する事で大筋合意した琉球分割条約は、 10日後の調印を待つばかりになっていました。 ところが10日経過しても清国代表は... 続きをみる

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  • 頑固党 人名録 義村按司朝明

    豪放磊落、破天荒な人物 義村按司朝明は、最初の頑固党の首領、亀川盛武の死後、 頑固党を引っ張ってきた首領です。 1830年、向文輝:奥武親方朝昇の五男として 首里で生まれた朝明は子供に恵まれない義村御殿朝章の養子になります。 義村御殿は、尚穆王の三男、義村王子朝宜を元祖とする王族で、 東風平間切の... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動6

    公同会運動は政府に黙殺され恫喝を受ける 1897年、公同会運動の代表者9名は上京して、請願活動を行います。 ところが政府の運動への態度は「理に叶わぬ事」と否定的であり、 「このような運動は国事犯に該当する」 と処罰を仄めかしたので、運動は一気に収束していきました。 多くの署名を集めたにしても、同じ... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動3

    琉球処分から30年間、県議会も置かれず、 独裁的な奈良原県政による鹿児島系商人の県経済の寡占化に 行政面から対抗するべく、公同会運動は発足しました。 公同会の錚々たる面々 公同会運動の主要メンバーは、尚泰侯爵の二男である 尚寅と四男の尚順さらに、伊江朝真、護得久朝惟、 高嶺朝教、豊見城盛和、知花朝... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動2

    琉球処分から30年、県議会が置かれず、 予算を編成する権限も与えられない沖縄県では、 大きな弊害が起きていました。 琉球王とあだ名され、16年の長期にわたり 沖縄県に君臨した奈良原県政の鹿児島商人との癒着です。 1892年から第四代の官選知事として赴任した奈良原は 通常は知事の政治運営を掣肘しチエ... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動1

    琉球処分から、15年、日本の日清戦争における勝利により、 長く続いた頑固党の琉球国復興運動も終結に向かいました。 しかし、沖縄の苦難は、これで終わったわけではありませんでした。 長い間続いた日本支配に対する旧士族の抵抗に手を焼いた明治政府は 旧慣温存政策を取り、沖縄県の体制を大きく改変せず、 元々... 続きをみる

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  • 做琉球で一儲け、後を絶たない密貿易

    中国福州には、「做(ツォ)琉球(ルーチュー)」という 隠語めいた言葉があるそうです。 做(ツォ)とは「造る」「~する」という意味ですが、 さて何をするのでしょう。 その答えは、法の監視をくぐり密貿易を行って 一財産を築くという事でした。 琉球は、500年に渡り、中国との間で進貢貿易をしていた関係で... 続きをみる

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  • 沖縄版442連隊 屋部軍曹

    日本史においては、沖縄の歴史は、 ほぼ日本のエゴに支配された歴史 大国に翻弄された歴史として記録されます。 そこでは犠牲者としての沖縄人が クローズアップされがちですが、 実際には琉球処分を契機に 「むしろこうなったからには、 積極的に日本人に同化しよう」 とした人々もいたのです。 多くの県民から... 続きをみる

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