新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

新しい沖縄歴史教科書を造る会の人気ブログ記事

  • 琉球は中国に操られていたか?

    琉球の歴史というと、下の絵のように、 琉球は中国に操られていたんだ! と語る人に出くわします。 しかし、それは全くの出鱈目です。 例えば、それらの人達は、 「蔡温や謝名親方は三司官で 中国系ではないか?」 と言いますが、 琉球の最高行政職である三司官は、 400年で100名程出ました。 その中で中... 続きをみる

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  • 琉球は差別語ではない

    最近は琉球という言葉は 中国から付けられた屈辱的な 名前だから使うのは良くないという 根拠のない話があります。 しかし、それは悪意のある曲解であり、 そもそも琉球という名前には 悪い意味はありません。 南海に浮かぶつるつるした宝玉 というのが琉球の意味です。 中国は大抵、周辺国には蔑視した名前をつ... 続きをみる

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  • 琉球、辮髪の強制に怯える

    西暦1644年、山海関を超えて、北京に入城した 満州族は、国号を清として、新しい中国の支配者になります。 そして、その手始めとして、敵味方を区別する為に、 漢民族に辮髪を強制しました。 辮髪は平たく言えば、ラーメンマンみたいな髪型で 頭髪を額の部分だけ残し、 周辺は剃り、伸びた毛は 三つ編みにして... 続きをみる

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  • 琉球の王様の冠についている アレは何の為?

    琉球の王様が被る冠は、 皮弁冠(ひべんかん)といい うちなあぐちでは、 たまんちゃーぶいと言います。 王の権威の象徴である皮弁冠は、 動物の皮で造られ、表面には、サンゴや宝石などの 玉が百以上も配置された豪華なものです。 ところで、この皮弁冠には、 横に大きなパーツがついていますが、 あれは、一体... 続きをみる

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  • 薩摩をびっくりさせた琉球の馬術の名人

    琉球が薩摩に敗れた後の事です。 八重山に仲黒馬という名馬がいるというので 薩摩藩主、島津家久は琉球に 馬を護送するように命令しました。 しかし、この仲黒馬、気性が荒く 誰にも乗りこなせません。 ただ、1人、武芸者の野国親雲上宗保だけは、 この仲黒馬を乗りこなせたので、 護送官は宗保に薩摩まで来てく... 続きをみる

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  • 倭寇と戦う琉球の船

    西暦1420年代に、武器を積みこまなかった為に 倭寇に皆殺しの目にあった琉球は、 進貢船に重武装を施します。 海に生きる限り、倭寇との戦いは避けて通れない 500年に渡る宿命だったのです。 時代が下って18世紀になっても、 清の力が衰えると、再び倭寇が勢いを盛り返しました。 困った琉球は薩摩からカ... 続きをみる

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  • 琉球は軍事大国だった

    貿易により富を蓄積していた琉球は、倭寇などの略奪を警戒し 人口八万人という小国ながら、軍船を基準とした軍事組織を発展させました。 それは4000名という規模であり、人口の5%に達します。 これを、現在の日本に当てはめると、600万人という規模になります。 当時の琉球は海外遠征もしており、結構な軍事... 続きをみる

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  • 首里城の建材が変わった!その切実な理由とは

    首里城が、戦乱や火災で何度も焼けた事は よく知られていますが、 それ以外にも、20年周期で修理と修復が あった事は余り知られていません。  巨大な木造建築である首里城は、 以前はカシの木で作られていましたが、  カシの木は、高温多湿の沖縄では腐食に弱く  20年では腐り始めて建材を取り替える 必要... 続きをみる

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  • ☆大名を潰す大和、親戚にする琉球

    尚真王は、琉球各地に散らばっていた按司を  首里に集めて、中央集権体制を強化します。 王は、配下の按司達に多額の給与を与え  領地に戻る気がしなくなるように 仕向けるばかりではなく、 お互いが反目しないように、 首里を3つの平等(ふぃら)に分けて、  それぞれ、南山、北山、中山の按司を 纏めて配置... 続きをみる

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  • 石川啄木と山城正忠

    夭折の歌人と山城正忠 山城正忠は、沖縄出身です。 本業は歯科医師ですが、歌人でもあり若い頃に上京し、 東京で与謝野鉄幹・晶子に師事していた経歴を持ちます。 山城正忠(1884~1949) この山城正忠、あの歌人の石川啄木と親交がありました。 石川啄木(1886~1912) 君の国では今でも、人が死... 続きをみる

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  • 沖縄県営鉄道から見える事

    間切が消滅し経済が一体化する沖縄 明治12年に沖縄県が設置されると、 それまで県内の自由な往来を妨げていた間切関所が廃止されます。 それ以前は限られた人以外は間切の外に出る事は出来ず 多くの農民は生まれた間切を出る事なく一生を終えていました。 しかし、産業を育成し近代化する過程で間切の存在は すで... 続きをみる

  • 黄色艦隊フィーバー1

    規模において日本を凌駕した清国艦隊 清朝は、アヘン戦争、アロー戦争と海軍力の弱さ故に 列強に煮え湯を飲まされた経験から広大な領土を守る 海軍の創設にあたる事になります。 日本の場合には、連合艦隊一つですが、領土が広大な清では、 一艦隊では、すべてをカバーできず、北洋艦隊、福建艦隊、 広東艦隊、南洋... 続きをみる

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  • 今と変わらぬ、いがみ合う沖縄人

    沖縄クラブを追いつめたのは同じ沖縄人 謝花昇が発起人となって始めた沖縄クラブは南陽社という 商社を起こし、肥料や文房具、沖縄時論という新聞を発行しつつ 奈良原県政を痛烈に批判していきました。 それは、もちろん奈良原の弾圧の対象になるのですが、 それより何より、激しく謝花等沖縄時論を攻撃したのは、 ... 続きをみる

  • 杣山問題が起こした沖縄の自由民権運動3

    杣山、官有物となり、住民は締め出される 謝花を左遷した後、奈良原は、腹心の黒川佐助を配置します。 以後、杣山の払い下げは、奈良原の意のままになりました。 奈良原知事が琉球王族、薩摩商人、官僚、貴族員議員等に払い下げた 杣山の面積は、1、257、2000坪に昇りますが、 これは、広大であっても杣山の... 続きをみる

  • 頑固党 人名録 義村按司朝明

    豪放磊落、破天荒な人物 義村按司朝明は、最初の頑固党の首領、亀川盛武の死後、 頑固党を引っ張ってきた首領です。 1830年、向文輝:奥武親方朝昇の五男として 首里で生まれた朝明は子供に恵まれない義村御殿朝章の養子になります。 義村御殿は、尚穆王の三男、義村王子朝宜を元祖とする王族で、 東風平間切の... 続きをみる

  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動5

    廃藩置県のやり直しを求める公同会運動 1872年、日本本土の廃藩置県に遅れる事1年で 琉球国は琉球藩にされる事になります。 これは、明治政府が国内の藩に琉球を模したものであり、 形式的な措置でした。 琉球藩になると同時に、琉球の支配権は、 鹿児島県から明治政府に移行し、琉球の外交権が停止 国王尚泰... 続きをみる

  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動4

    公同会運動は、現在においても、尚家を沖縄の世襲の知事として、 旧士族の既得権益を守ろうとする運動であるとされます。 しかし、前述したように、請願書においては、 日本の法律の下に尚家の人間を知事とする沖縄県を置き、 政府の監督官を設置し、県議会を設置して人材を募るなど およそ琉球藩の復活には、無縁の... 続きをみる

  • 做琉球で一儲け、後を絶たない密貿易

    中国福州には、「做(ツォ)琉球(ルーチュー)」という 隠語めいた言葉があるそうです。 做(ツォ)とは「造る」「~する」という意味ですが、 さて何をするのでしょう。 その答えは、法の監視をくぐり密貿易を行って 一財産を築くという事でした。 琉球は、500年に渡り、中国との間で進貢貿易をしていた関係で... 続きをみる

  • 沖縄版442連隊 屋部軍曹

    日本史においては、沖縄の歴史は、 ほぼ日本のエゴに支配された歴史 大国に翻弄された歴史として記録されます。 そこでは犠牲者としての沖縄人が クローズアップされがちですが、 実際には琉球処分を契機に 「むしろこうなったからには、 積極的に日本人に同化しよう」 とした人々もいたのです。 多くの県民から... 続きをみる

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  • ■元の皇帝にアラビア文字で上奏文を出した琉球?

    琉球が初めて中国と公式交流を持ったのは、 1372年と言われています。 しかし、一方でそれよりも以前の元の時代にも 琉球から元の皇帝に上奏文が送られたという 記録があるようです。 そんな記録を残したのは、元末から明初の文人 陶宗儀(1329~1410)という人です。 彼によると、琉球から送られた上... 続きをみる

  • 日本史上初の勲章には琉球の文字が、その理由とは?

    日本の歴史上、 最初の勲章には、 琉球の名前が入っていた というのをご存じですか? その名も、薩摩琉球国勲章といい、 1867年のパリ万博で登場しました。 当時は、徳川幕府と薩摩藩、そして佐賀藩が、 万博に自分達のブースを持っていましたが、 特に倒幕を考えている薩摩は、 幕府と薩摩藩には、 主従関... 続きをみる

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  • 琉球が中国に500年送り続けたものとは?

    琉球は、1372年から、 琉球処分までの500年 毎年、せっせと中国に 送り続けたものがありました。 それは何と硫黄です。 硫黄は沖縄本島からは採れませんが、 近くに硫黄鳥島という島があり、 そこから何百年も採掘しました。 さて、どうして硫黄が輸出品だったのか? それは、これが 火薬の原料だったか... 続きをみる

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  • 琉球に味方して薩摩と戦った日本人がいた

    今のような琉球移住ブームが起きる400年前 琉球は、中国や東南アジアへの窓口として やってくる日本人が多くいました。 その中の一人に 山崎二休守三という人がいます。 彼は越前(福井県)の産まれの医者でしたが 琉球にいけば中国の最先端医学が学べると 伝え聞き琉球にやってきました。 ところが勉強で来た... 続きをみる

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  • 琉球に馬琴のファンがいた!

    曲亭(滝沢)馬琴と言えば、 江戸後期の作家で南総里見八犬伝などで 有名な人物ですが、 江戸の天保年間の馬琴の日記には 琉球人の馬琴ファンがいた事が記されています。 それによると、ある薩摩藩士が 馬琴の元を訪れ、 琉球人の土産にするので、 草紙(今でいうマガジン)を売ってくれ と金1両を出してきたそ... 続きをみる

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  • 隋にボコボコにされる琉球

    琉球が中国史に出現する最初は 隋(581~618)という王朝の時代です。 隋は300年ぶりに中国を統一した強力な王朝でしたが、 二代目の煬帝が贅沢と戦争で 民を苦しめたので たった二代で滅びました。 この、隋の煬帝は琉球も服属させようと、 都合3回に渡り、船と兵を出しています。 一回目は、到着して... 続きをみる

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  • 仕事でミスしたら上司に酒をプレゼント

    琉球国でも宮仕えの人は上司との関係に苦労しました。 そこで、上司に怒られた時に共通した謝罪の方法がありました。 それは、ミスをした上司の家まで、酒壺を2つ持っていくというものです。 この酒壺を持って、上司に謝罪しつつ、酒を勧める。 そこで上司が酒を飲んでくれたら謝罪完了です。 安直というか何という... 続きをみる

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  • 北京で情報収集をする琉球

    西暦1644年、 李自成の反乱で明は崩壊し、 山海関を越えた満州族が 反乱軍を撃ち破り清を建国します。 この清は中国史上、最も巨大な領土を持っていました。 また、日本と同じように清は鎖国をしてはいましたが、 それは外国人が国の中を 自由に出入り出来ないという意味です。 清は杭州に限って交易用に 西... 続きをみる

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  • 冊封は中国の大赤字だった

    中国と琉球というと、直ぐに冊封体勢、 そして属国というイメージになります。 中国に服属した国は、 政治の自由を奪われ屈辱に耐えていた筈だ。 中国は変わらず横暴な国だ。 しかし、事実は全く違っており、 持ち出しが多く、おおばんぶるまいしていた のはむしろ中国の方でした。 周辺の冊封国は、政治の干渉も... 続きをみる

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  • 倭寇とバッティングした琉球その解決策

    琉球がアジアの海を縦横無尽に疾駆していた頃は 同時に海のギャング兼商人、倭寇の全盛期でした。 倭寇も黒潮と季節風を使い、アジアの海を 縦横無尽に駆け回った一団でした。 実際に何度となく琉球の船は襲われ、 積み荷を奪われ、乗組員皆殺しの目にあいました。 そんな倭寇の縄張りである朝鮮海域は、 彼等の巣... 続きをみる

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  • 1450年に琉球に伝来していた初期の鉄砲

    鉄砲というと、戦国時代に種子島に伝来した 火縄銃が有名ですが、 実は、それ以前から初期の鉄砲は、 琉球でも存在が確認されていました。 当時の中国は、既に刀と槍の戦いから 火砲を使った火力の戦争に移行しており、 以前は劣勢だった騎馬民族に対して、 防御戦で優位に立っていたのです。 飛び道具は敵を寄せ... 続きをみる

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  • タバコにフィーバーした琉球

    沖縄県は、うるまのような県産タバコでも有名な タバコの愛好者が多い土地でした。 その歴史は古く、1550年代に、 ルソン(現フィリピン)でスペイン人が 新大陸にあった喫煙の習慣を広めて それをルソンに来た琉球人が覚えて 持ち帰った事が始まりという説があります。

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  • ☆那覇港を守る2つの砲台

    那覇には、屋良座森と三重城という二つのグスク跡があります。 しかし、この二つのグスクは、一般的なグスクとは違います。  両方のグスクは長方形に石積みがされその内外には15個の銃眼がありました。  二つのグスクは那覇港の外海に向かって対になり  海賊の侵入を撃破する砲台だったのです。  実際に、西暦... 続きをみる

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  • ☆琉球の使節 北京で中国人と大喧嘩

    後には守礼の国と称えられ、大人しい温厚な人々になった  琉球の人も、15世紀は戦乱の真っ最中で、  凶暴で勇敢な人々と周辺国に恐れられていた時期があります。  西暦1448年1月、正月の挨拶を述べる為に、 北京に上った使者謝花ですが、 彼の従者は荒くれ者が多かったのか 四川長河の西の番人達と 会同... 続きをみる

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  • ☆小さな王国が世界に衝撃を与えた

    これは、世界地図を回転させて、 沖縄本島を中心に見た世界です。 台湾や、中国福州がとても近く、 日本の九州とフィリピンが同じ位の 距離離れている事が分かります。 そして、丸で囲まないと見えない程に 沖縄が小さな島である事に改めて 驚くのではないでしょうか?  この小さな沖縄は、 今から、135年前... 続きをみる

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