新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

新しい沖縄歴史教科書を造る会の人気ブログ記事

  • 亡命琉球人(脱清人)について

    明治政府による国際法無視の琉球併合に抵抗して、 当時の清朝に亡命して救援要請と抵抗運動をした琉球士族を 一般には脱清人と言います。 しかし、清に脱出するというのは、琉球を強制併合した 明治政府からの見方であり、当時の琉球人にその感覚はなく、 亡命琉球人と呼ぶ方が正確です。 琉球人の清国への亡命は琉... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動6

    公同会運動は政府に黙殺され恫喝を受ける 1897年、公同会運動の代表者9名は上京して、請願活動を行います。 ところが政府の運動への態度は「理に叶わぬ事」と否定的であり、 「このような運動は国事犯に該当する」 と処罰を仄めかしたので、運動は一気に収束していきました。 多くの署名を集めたにしても、同じ... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動4

    公同会運動は、現在においても、尚家を沖縄の世襲の知事として、 旧士族の既得権益を守ろうとする運動であるとされます。 しかし、前述したように、請願書においては、 日本の法律の下に尚家の人間を知事とする沖縄県を置き、 政府の監督官を設置し、県議会を設置して人材を募るなど およそ琉球藩の復活には、無縁の... 続きをみる

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  • 做琉球で一儲け、後を絶たない密貿易

    中国福州には、「做(ツォ)琉球(ルーチュー)」という 隠語めいた言葉があるそうです。 做(ツォ)とは「造る」「~する」という意味ですが、 さて何をするのでしょう。 その答えは、法の監視をくぐり密貿易を行って 一財産を築くという事でした。 琉球は、500年に渡り、中国との間で進貢貿易をしていた関係で... 続きをみる

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  • 東京裁判で戦勝国側にいた沖縄人

    那覇市泉崎生まれの石川正通(1897~1982)は 英語が天才的に出来るという人物でした。 元々は教会の牧師から習った英会話でしたが 興味を持ったのか次第に熟練し 学校の歴史の答案用紙に英語で答えを書く程で 教師達を慌てさせ、また呆れさせました。 「石川君は英語の受業は受けんでよろしい、 どこかで... 続きをみる

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  • 琉球王朝事件簿 ・幻の陶工の系図を巡る改竄事件(3)

    島袋家は、五男いて、 いづれも裕福な暮らしをしていました。 縋り入りの話を聞いた島袋家では、 「花城・渡口家は除いて島袋家だけで、 縋り入りをしたい、報酬はもっと沢山出すから」 と欲をかいた申し出をしました。 仲松と池原は、より儲けがありそうな 島袋家の提案に乗り、花城、渡口家を 締め出す方向で動... 続きをみる

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  • ■かなり変則的だった琉球の王位継承

    国王の家柄と言えば、 当然、血縁絶対の長子相続と思われがちですが、 実際にはそう簡単でもないのが歴史というものです。 琉球国も例外ではなく、長子相続から、 兄弟相続、祖父の時代別れた浦添尚家からの 相続とバラエティに富んでいます。 一応、正妃と側室では、正妃の子が正統とされ それは守られていますが... 続きをみる

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  • ・冊封使になりたくない! あの手、この手で逃げる使者達

    冊封使は、皇帝の名代で朝貢国に出向する名誉な仕事です。 しかし、陸続きの朝鮮やベトナムのような国と違い、 海賊や遭難の危険がある琉球への使者は、 皆嫌がって、行きたがりませんでした。 とはいえ、 「琉球行きは死ぬかも知れないので辞退します」 は、皇帝の忠実な家来として決して言ってはいけないですし、... 続きをみる

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  • ■沖縄戦構想の元ネタは、 猪木VSアリ戦と同じだった?

    沖縄戦において、その作戦立案を担当したのは 高級参謀 八原博通大佐です。 元々、沖縄本島には、最強の誉れ高い 虎の子の第9師団が配備されていましたが、 大本営は、台湾からフィリピンに引き抜いた 師団の埋め合わせで9師団を抽出すると命令。 沖縄守備軍は、猛反対しますが決定は 覆りませんでした。 これ... 続きをみる

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  • 弓太郎、加藤外相暗殺を決意する

    1900年代に入ると、 日本と清の関係は好転 日露戦争では、 清は中立の立場を取りながら 裏ではロシアの情報を 日本に流していました。 このような蜜月の日清関係で 日本政府の頭痛の種は、 清を打倒して新政府を 樹立しようとする 革命派の孫文の一派でした。 清からも執拗に孫文引き渡しを迫られた 政府... 続きをみる

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  • 琉球、皇帝の衣装を無断で作り叱られる

    織金竜衣(しょっきん・りゅうい)というのは、 中国皇帝だけが、着用を許された黄色が主体の衣で、 模様として竜がびっしりと描かれていました。 黄色も竜も皇帝のシンボルなので、 琉球も大層そのデザインに憧れていました。 1471年、使節としてやってきた蔡璟(さいけい)は、 こっそり、針工と織金竜衣の生... 続きをみる

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  • 今と違う那覇大綱曳きの人物

    那覇大綱曳きは、毎年10月に行われ 50万人の人手がある県内最大級のイベントです。 この那覇大綱引曳きの歴史は古く、 琉球国時代から、行われていました。 大綱曳きのイベントでは、東西に歴史上の 人物が現れて、見栄を切りイベントを盛り上げる のですが、その人物は沖縄の歴史上の人物です。 代表的なもの... 続きをみる

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  • 日本史上初の勲章には琉球の文字が、その理由とは?

    日本の歴史上、 最初の勲章には、 琉球の名前が入っていた というのをご存じですか? その名も、薩摩琉球国勲章といい、 1867年のパリ万博で登場しました。 当時は、徳川幕府と薩摩藩、そして佐賀藩が、 万博に自分達のブースを持っていましたが、 特に倒幕を考えている薩摩は、 幕府と薩摩藩には、 主従関... 続きをみる

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  • 琉球料理と日本料理、アメリカ人が好んだのは?

    1853年、日本に向かう前に 琉球にやってきたペリー 恫喝外交に苦しみながらも、 そこはお客様、無下には出来ません。 琉球は中国使節に与えるよりはワンランク低い 豪華な料理で、おもてなししました。 「実は君達を歓迎してないぜ、フフン」 というサインを紛れこませたのですが、 そんなサインはアメリカ人... 続きをみる

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  • 佐敷王統はどうして滅んだのか?

    佐敷王統は、一代の風雲児、尚巴志が築きあげ そして、60年あまりで滅んだ王朝です。 1406~1469年ですから63年の命です。 では、佐敷王統はどうして滅んだのかを 簡単に説明していきます。 ①王様が変わるのが頻繁すぎた。 尚巴志の後を継いだ王達が短期間で次々に 亡くなりました。 これでは、権力... 続きをみる

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  • 琉球に馬琴のファンがいた!

    曲亭(滝沢)馬琴と言えば、 江戸後期の作家で南総里見八犬伝などで 有名な人物ですが、 江戸の天保年間の馬琴の日記には 琉球人の馬琴ファンがいた事が記されています。 それによると、ある薩摩藩士が 馬琴の元を訪れ、 琉球人の土産にするので、 草紙(今でいうマガジン)を売ってくれ と金1両を出してきたそ... 続きをみる

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  • 豚を中心に回る琉球エコロジー

    琉球の庶民にとっての財産は、 何と言っても豚でした。 豚は暑い琉球の貴重なタンパク源であり 疲労回復のビタミンBも豊富に含まれます。 それに冠婚葬祭、全てにおいて 豚肉料理は出るので、どんな貧困世帯でも 豚は飼わなければいけなかったのです。 そんな豚は庶民の家でフールとよばれる 石造りの立派な畜舎... 続きをみる

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  • 仕事でミスしたら上司に酒をプレゼント

    琉球国でも宮仕えの人は上司との関係に苦労しました。 そこで、上司に怒られた時に共通した謝罪の方法がありました。 それは、ミスをした上司の家まで、酒壺を2つ持っていくというものです。 この酒壺を持って、上司に謝罪しつつ、酒を勧める。 そこで上司が酒を飲んでくれたら謝罪完了です。 安直というか何という... 続きをみる

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  • 北京で情報収集をする琉球

    西暦1644年、 李自成の反乱で明は崩壊し、 山海関を越えた満州族が 反乱軍を撃ち破り清を建国します。 この清は中国史上、最も巨大な領土を持っていました。 また、日本と同じように清は鎖国をしてはいましたが、 それは外国人が国の中を 自由に出入り出来ないという意味です。 清は杭州に限って交易用に 西... 続きをみる

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  • 進貢船が中国に到着するまでの期間

    琉球から出た船が中国の福州に入るまでには どの程度の期間が掛かったのでしょうか? それは、最短で4日間と言われています。 意外に速いですよね? ただ、これは順調に行った場合で、 長期になると30日という事もありました。 これは航海しているというより 久米島で良い風を待っていたからです。 どうして久... 続きをみる

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  • 450年前、繁栄する那覇

    琉球は、黒潮の通り道であり、商売や遭難、或いは、 お尋ね者という多種多様な民族が出入りしました。 14世紀に最初にやってきたのは福州の客家の人々 それから、同時期に遭難した朝鮮の人達、大和人 少し遅れて、15世紀には東南アジアのルソンや、 シャム、パレンバンというような所からも人が来ました。 16... 続きをみる

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  • 琉球士族の勤務表 星功(ほしこう)

    琉球士族は、ポイント制で、昇進できるシステムでした。 これを星功(ほしこう)といい、毎日、決まった業務を行うと 少しずつ、勤星が加算されていく仕組みでした。 ※図は、八重山士族で、耕作筆者(農業監督人)として 従事していた士族の星功調です。 しかし上級士族と下級士族では、 星功の貯まり方に大きな違... 続きをみる

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  • 琉球は軍事大国だった

    貿易により富を蓄積していた琉球は、倭寇などの略奪を警戒し 人口八万人という小国ながら、軍船を基準とした軍事組織を発展させました。 それは4000名という規模であり、人口の5%に達します。 これを、現在の日本に当てはめると、600万人という規模になります。 当時の琉球は海外遠征もしており、結構な軍事... 続きをみる

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  • 伊是名王統の王様って何名?

    伊是名王統は、尚円金丸を初代とする王朝で 佐敷王統の尚徳王の死後にクーデターを起こして樹立され 1470年から、1879年まで409年続きました。 ほぼ、日本の戦国時代と江戸時代を合わせた長さがあります。 その王様の数は19名にも上ります。 徳川幕府でさえ、263年で15代に過ぎません。 中国では... 続きをみる

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  • 庶民にも身近だった進貢貿易

    唐船どーい という歌は、中国からやってくる船を歓迎して、 庶民が走って那覇港に駆けつける様子をあらわした歌です。 そりゃあ、身内の人が無事に帰ってきたというのも ありますから、嬉しいでしょうが、、 現代の人間から見ると、少し違和感があります。 中国から来る船って言っても、積まれているのは貴重な宝物... 続きをみる

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  • 国王からの白紙委任状  空道

    空道(こうどう)とは、国王の印だけを押した白紙の公文書で、 中国に渡る使節は、これを何枚も持っていきました。 どうして、こんなものが要るのかというと、 政変が多い中国では、琉球で書いた公文書が無意味になる 可能性が高かったからです。 国王は、使者にフリーハンドを与え、 その時点で最適な公文書を書く... 続きをみる

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  • ・混乱の元 第一尚氏と第二尚氏

    琉球史を複雑にしているのは、 第一尚氏と第二尚氏という 数字の連続性がある 二つの王朝の存在です。  しかし、この第一尚氏と第二尚氏の分類は、 歴史学的に根拠がある事では全くありません。  そもそも、この二つの王朝は姓が同じなだけ、  血統の共通性も無ければ 王朝を構成している人物も全く別、、  ... 続きをみる

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  • 錫の合板で覆われていた過去の首里城

    今の首里城は、木造建築の瓦葺ですが、 これは、 1715年に焼けたのを再建したものを参考にして  戦後の1992年に復元されたものです。 それ以前から首里城は、何度か焼けていて、  一番最初に建てられた頃にはどんな姿をしていたかは  実はよく分かっていないのです。  最初に焼けたのは、1456年と... 続きをみる

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  • 忘れさられた偉人 池城安規

    池城親方安規は、琉球処分の前段階で、 理不尽な明治政府の要求に 最期まで、抵抗した三司官の1人です。 1829年、首里の名門、池城殿内に生まれた安規は、 40代を迎える頃には、三司官として琉球の日本併合という、 過去500年の歴史で最大の難問に当る事になりました。 1875年、琉球の日本化を図る、... 続きをみる

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  • ☆琉球の黒船はおフランスからやってきたザンス!!

    日本史でいう黒船とは、一般にペリー艦隊の事を意味します。 しかし、琉球史における黒船はペリーではないのです。  西暦1844年、フランス艦隊のデュ・プラン提督率いる 軍艦アルクメーヌ号が 那覇港に入りました。 それまでの友好を深めるという理由ではなく、  通商やキリスト教の布教を求めてきたのです。... 続きをみる

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  • アメリカに知略で立ち向かう琉球

    琉球の巧みな外交 0001

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  • 琉球王と藩主はどう違うのか?

    琉球王は、薩摩や幕府から 任命されてなるものではありません。 その任命者はキミテヅリの神であり 即位式を経て王になります。 それは、琉球が独自の王権であった 証明であり、 天皇によって、支配権を与えられた 徳川幕府や、幕府に統治権を 認められた薩摩や他藩とは存在が 大きく違うのです。 にほんブログ村

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