新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

■琉球の人身売買


製糖産業や、ウコン・タバコ栽培等によって
換金作物が誕生して、産業が発生し
貨幣が沖縄全域を回るようになった1667年。


王府は、それまでの労働力提供の
夫役をやめて銭でこれを支払うように命じます。


年貢は変わらず物納でしたが、
夫役は銭納になったのです。


夫役はこればかりではなく、
村の総地頭や脇地頭への夫役、
村役場に必要な製品を納品する
という義務もありました。


いずれにもお金は必要になり、
こうして、農民はお金が必須の社会に
組み込まれていく事になります。


物々交換のハダカユーの時代から、
歴史的発展の段階を一段上ったと
肯定的に見ればそういう事になります。


中には、借金返済に困って、土地の
権利を他人に売って小作人になり
それでも足りずに自分を売り払う
人身売買も発生しました。


人身売買は法で禁止されては、
いませんでしたが、細かい規定があり
身売りをする者は親類縁者の
連署を集めて願い出て、
止むを得ない理由がある場合に限り
許されるという事になります。


身売りは、同村内や同間切内のみに
限定され、身売りされている間の
税金は親戚縁者が代わって納める
という義務を背負いました。


身売りは生涯ではなく
年季を限ったもので人の家で
食事だけは支給されて無給で働きます。


中にはよく働くという事で買主から
褒められ、年季より早く自由になる
というような事もありました。


親の借金を払う為に、二度も身売りした
青年の話が、孝行息子として記録されるなど
当時は人身売買も善行の一つと考えられていた
節があります。

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