新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

杣山問題が起こした沖縄の自由民権運動3

  • 杣山、官有物となり、住民は締め出される


謝花を左遷した後、奈良原は、腹心の黒川佐助を配置します。
以後、杣山の払い下げは、奈良原の意のままになりました。


奈良原知事が琉球王族、薩摩商人、官僚、貴族員議員等に払い下げた
杣山の面積は、1、257、2000坪に昇りますが、
これは、広大であっても杣山の一部でしかありませんでした。



奈良原は、さらに残った杣山を官有にし、
樹木を民有にすると言いだします。


謝花昇は、これにも正面から反対し、
土地も樹木も民有にすべしと主張します。



その理由として謝花は、


「杣山は付近の農民が手入れをし
必要な木材を入手している生活の場である、
これを官有にすると所有権を盾に
官に入山を排除される恐れがある」


と危惧したのです。


奈良原は、これに反論して言うには、


「土地も樹木も民有にすれば、
住民は土地税を払う義務が生じる。
しかし、土地を官有にすれば、

管理は今のままで樹木も得る事が出来る」


何よりも重税を恐れる農民は、奈良原の脅しに屈して
杣山の官有に賛成しました。


奈良原知事、手のひらを返す


1899年、4月、沖縄でも土地整理が始まり、
1903年10月には終了します。


土地整理が終了した途端、杣山は官有となり、
住民立ち入りは禁止されました。


もちろん、いくら樹木は民有と主張した所で、
土地に入れないのですから、薪一本手に入らないのです。


奈良原の公約は最初から、農民を騙す為の
真っ赤な「嘘」だったのです。


困った農民は、村が所有する薪炭材木用の山林を
30年支払いで買い上げる事になりますが、
その費用は、83、572円という巨額になり、
ただでさえ貧しい農民の生活をさらに圧迫します。


官有化された杣山は、農民が入らなくなった事で、
管理が出来なくなり、荒廃する事になります。


謝花昇県庁を辞職して沖縄クラブを組織


「どれほど反対しても知事の権力の前には為す術がない
ここは沖縄県民も参政権を獲得し政治の力で
県知事の
横暴を阻止し、県民の手に故郷を取り戻さないといけない」


1899年、12月、奈良原知事の圧迫で謝花は県庁を辞職。
有志二十数名と沖縄クラブを組織し、南陽社という印刷と肥料と、
文房具などの販売事業を行うようになります。


南陽社は純粋な商社ではなく、自由民権運動の活動資金を
生み出す為の組織でした。


謝花等は、ここで沖縄時論という新聞を発行して、
政治経済、社会問題などの論説を掲げて自由民権を啓蒙し
同時に閥族政治を敷く、奈良原県政を痛烈に批判していきます。



                   つづく・・


















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