新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

做琉球で一儲け、後を絶たない密貿易



中国福州には、「做(ツォ)琉球(ルーチュー)」という
隠語めいた言葉があるそうです。
做(ツォ)とは「造る」「~する」という意味ですが、
さて何をするのでしょう。


その答えは、法の監視をくぐり密貿易を行って
一財産を築くという事でした。


琉球は、500年に渡り、中国との間で進貢貿易をしていた関係で、
頻繁に中国との船の往来がありました。


でも、中国王朝と琉球の交易は全て官営貿易で、
私貿易は認められていなかった・・


というのはタテマエなのでして、


実際には琉球からも馬艦船に乗って多くの人が
密貿易船を出していたのです。


しかし、大手を振って、
「ちわーす密貿易に来ましたー!」なんて言って
港に入れば即逮捕されるに決まっています。
何しろ非合法ですからね。


そこで、密貿易者は、漂流を偽装するようになりました。
「航海の途中で嵐に遭遇して、命からがら中国に漂着しました」
これならば、天候による不運ですから、罪に問われる事はないのです。


ですが、このような漂流が余りにも多いので、
王府は疑惑を持ち、中国への琉球人漂着者を
厳重に取り調べるようになります。


時は、1800年代の初頭で
大量の密貿易船の被害が出ていた時期です。


このような、なんちゃって漂流を繰り返したのは、
泊や那覇の下級士族が多かったと記録されています。


馬艦船の船頭は、泊、那覇、そして久高島の人が勤めたようですが
成功した時のボーナスは相当金額に上ったのでしょう。


実際に、那覇・泊の士族の話には、
海運業で財を成したという話がゴロゴロありますし、
それによって平民だった人が王府への献金で士族の地位を買って、
新参士族に取り立てられたというケースも多いです。


ところで、清王朝への手前、これを厳しく取り締まっていた王府ですが、
密貿易と一切無縁であるとは言い難い状況にもありました。


何故なら、1700年代後半から1800年代の後半に掛けて、
王府の財政は破綻し、泊や那覇の豪商からの献金や
薩摩や大阪の大商人からの借金が無ければ、
国家を運営できない事態に追い込まれていたからです。


取り締まる側の王府にも、
密貿易の利益の一部が献金として上がっていた。
これでは、密貿易が後を絶たないのも分かる気がします。

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