新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

琉球に味方して薩摩と戦った日本人がいた

今のような琉球移住ブームが起きる400年前
琉球は、中国や東南アジアへの窓口として
やってくる日本人が多くいました。


その中の一人に
山崎二休守三という人がいます。

彼は越前(福井県)の産まれの医者でしたが
琉球にいけば中国の最先端医学が学べると
伝え聞き琉球にやってきました。


ところが勉強で来た筈の琉球で
山崎の医学が評判になります。


そして尚寧王が直接山崎に
「琉球に永住して欲しい」と頼んだので
山崎は真鍋という女性と結婚して
琉球に骨を埋める決意をします。

山崎は御典医になり知行20石を得ます。


しかし、1609年、薩摩の島津氏が
琉球に侵略を開始します。


山崎も武装して首里城の西のアザナにあって
よじのぼってくる島津の兵を撃退。
法元弐右衛門という
武将を負傷させました。

ですが、戦争は尚寧が降伏を表明した為に終了
山崎は、城を降りますが、途中で法元弐右衛門の
部隊に捕まってしまいます。


「貴様は日本人の癖に
琉球に味方したのか?
許し難い事だ」


法元は、山崎が琉球に加勢した事を責めて死刑に
しようとします。


山崎は臆する事なく反論しました。

「私は、長年尚寧王に仕えて、
大きな恩を受けている
元が日本人だからとて、

この御恩を裏切る事は出来ない」


あわや、山崎が処刑される直前、
山崎が捕まった事を知った尚寧王は


珍しい宝物を法元に贈り、
山崎の生命を救う事に成功しました。



山崎二休守三の子孫は、
今でも伊集、内間、渡名喜の姓で、
沖縄に存在しています。





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