「琉球処分は一種の奴隷解放なり」
と言ったのは伊波普猷ですが、この言葉から
琉球の人民は王府の圧政から日本によって解放された
という印象が造り上げられました。
しかし、それは極めて一面的な見方に過ぎず、
沖縄県民としては鵜呑みに出来ない事です。
実際には、当時の日本は、清国との間で国境線を巡る
駆け引きが存在していました。
写真で見るように、資源のない日本はシーレーンを通じて
生糸などの生産品を売り、近代化に必要な資材を
海外から輸入するしかありませんでした。
しかし、台湾や琉球は、どちらに属しているか分からない
曖昧な地位にあり、日本としては同じく琉球への宗主権を主張する
清国に対して、その領土を確定させる必要がありました。
当時の清には強力な海軍があり、日本を圧倒していました。
これらの寄港地として、琉球が利用されてしまうと、
シーレーンが途絶され、朝鮮を支配して植民地とし
日本製品の市場を大陸に求めるという、
帝国主義経済は破綻してしまうのです。
日本政府は、琉球が例えどんな正論を言おうと、
それを無視して、琉球を自国に組み込むつもりであり
話し合うつもりなど一切ありませんでした。
日本は、琉球人の為に琉球処分を実施したのではなく
全て、自国の利益の為だったのです。
結果として琉球が沖縄県になり、中国に併合されるよりは
豊かになったのだとしても、それは日本の身勝手な
領土欲を正当化する理由にはならないのです。
私達は、目先の、豊かになっただろう?に
誤魔化される事なく、日本政府の身勝手さにいつも
警戒心を怠ってはいけません。