新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

尚巴志の艦隊 北山の度肝を抜く

1406年に中山王、
武寧を討った尚巴志は、
父を中山王に立てます。

これが佐敷王統の始まりになります。
尚巴志は皇太子の身分で従わない
中山の按司を征伐しつつ、那覇港を拡張して
首里城を増築していきます。


1416年、国力の充実を
実感した尚巴志は
北山を攻め滅ぼす勅を下します。


時の北山王は、
攀安知(はんあんち)といい
武勇と知略に優れた名将でした。


狩猟民が多い北山兵は勇猛であり、
人口は最も少ないにも関わらず、
何度も越境して中山の領域を侵して
勢い盛んでした。


そこで尚巴志は、北山の戦意を挫こうと
琉球史上初の試みを実行します。


それが3000名の兵力を20隻の船に
載せて海路を北山に向かうという事。

この計算だと1隻について150人は乗るので
小さな船では、とても間に合いません。


当時の中山には、明国から貰った
二十数隻の軍艦があり尚巴志は、
これに兵力を載せて北山の按司達に
見せつけるように北上します。


いわば軍艦行進曲です。


北山には、明国からもらった
軍艦は一隻のみ
物量において中山とは比較になりません。


この艦隊行進が北山の兵士に与えた
インパクトは小さくないでしょう。

この行動は、北山の按司達に、
攀安知を見限らせる契機にもなります。

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