新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

日本は琉球のおまけだった?

世界史の授業では必ず習う
冒険家バスコ・ダ・ガマ

ヨーロッパ人として初めてアフリカの南端の
喜望峰を回った人物ですが、実はヨーロッパ人では
初めて、琉球の事を知った人でもあります。


1498年にインドに到着したガマは、
ガイドのアラビア商人から、レケオという
大国があるという噂を聴きます。


もちろん、これはレキオ、琉球の事です。


それによれば、
レケオは豊かな国で、
刀、剣、香辛料、黄金や、鉄、

何でも産出し身なりは中国人よりよく
気位も高いとありました。


実際の琉球からは馬と硫黄位しか産物がなく、
それ以外は中継貿易でかきあつめた商品です。


つまり、アラビア商人の認識は間違いでした。
しかし、ガマはこの情報をヨーロッパに持ち帰ります。


ヨーロッパでは、レケオこそ、
マルコポーロが見た黄金の国ではないか?
という憶測が広がりました。


1543年、スペイン王、
カルロス1世は、
ローマ法王に書簡を送ります。


それは、レケオ発見の暁には、
レケオの領有権はスペインにある事を
保障して欲しいという議定書です。

カルロス1世は図々しくも、ライバル
ポルトガルが同じ事をするのを予見し、
先手を打っていたのです。


当時、戦争で火の車だった
財政を補う為に
スペインもポルトガルも、
血眼でレケオを探しました。

もし、彼等に発見されれば、
琉球は、フィリピンのような
侵略の憂き目を見たかも知れません。


しかし幸運な事に琉球が南北100キロの
小さい島であった事。


そして、ヨーロッパ人が、
レケオを大陸だと思っている事
が幸いし彼等は琉球を見つける事は出来ませんでした。


1543年、琉球を探していた一隻が、
琉球を僅かにニアミスして北の種ヶ島に漂着します。


この船こそ、日本に
鉄砲をもたらした船でした。

ヨーロッパはこうして、レケオを探し損ねた
次いでに日本を発見したのです。


日本は琉球を捜索するおまけとして
ヨーロッパに発見されたのです。





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