シリーズ 明治政府による沖縄日本論の作成5
- 言語の近さを沖縄支配の根拠にする明治政府
1879年10月11日に東京タイムスに掲載された明治政府の
琉球併合における行動の正当性は、一重に沖縄は日本なのだから、
日本領という鼻もちならない傲慢さに貫かれている。
しかし、ただ、闇雲にそう言うだけでは意味を成さない為に、
明治政府は、歴史に貫かれた日本と沖縄の共通点を並べたてた。
今回は言語の共通性を力説する明治政府の言い分を見てみよう。
- 「アマミクの子孫」
琉球における話し言葉は日本各地における諸方言とその起源を等しくする。
琉球の言葉は勿論、他の方言群とは異なった形態を有するが、
日本の南、九州一帯に見る諸方言に近い。その違いと言えば、
九州地方の方言と東北の諸方言の間の違いとほぼ同じ程度のものである。
島の人々は自分達の島を一様に「沖縄」と呼び、自らを「アマミク」の
子孫だと言っている。このふたつの言語は、紛れもない日本語である。
■明治政府の主張に対する反論
第一の認識として、沖縄語と日本語が古来一つであり、
そこから枝分かれしていった事実がある。
従って、文法の構成や語句において、沖縄語に他の都道府県
特に、地理的に近い九州の方言と近いモノがあるのは
当然の事であると言える。
しかし、それを以て一つの国であるべきとは、
いわゆる牽強付会というものであろう。
例えば、欧州のオーストリアとドイツは、同民族、
同言語を持ちながら、国としては別々である。
ベルギーは北部がフラマン語というオランダ語の方言、
南部はフランス語を使っている。
出典:ウィキペディアより
当然、それぞれの言語には方言というべき
訛りがあるが元は同じである。
これを日本と沖縄の関係に当てはめた時、
同言語、同民族だから一つの国であるべきとは、
絶対の基準ではない事が分る。
■言語を変えられる抵抗からの大和屋への嫌悪感
また、他の都道府県には見られない、沖縄独自の標準語への
拒否感として、小学校を大和屋と呼んで嫌悪した事もあります。
同言語でありながら、日本との音信不通期間の600年の間に
発音に大きな隔たりが生まれた沖縄語は、日本では通用せず、
明治政府は会話科という教科を造り標準語を教えるという
過程から開始せざるを得なかった。
そもそも、天皇を崇拝する習慣がなく、独自の国王を立て、
政治体制も別、少数の薩摩人がやってくるだけの琉球において、
日本本土と同じような扱いをする事に無理があったのだ。
■アマミクと沖縄は日本語なのか?
島の人々は自分達の島を一様に「沖縄」と呼び、自らを「アマミク」の
子孫だと言っている。このふたつの言語は、紛れもない日本語である。
明治政府は、このように言うが、いかなる根拠に基づくのか?
元々、沖縄とは、奈良時代の末期に当時の琉球に漂着した
遣唐使が記した阿児奈波(あこなは)島が由来である。
あことは「沖」「なは」とは漁場を意味すると
沖縄県地名由来辞典にはある。
そして、この、現地の人々の言葉、「あこなば」を
そのまま遣唐使の随員が音で漢字表記したのが
「阿児奈波」である。
たった四音を漢字四文字で表現する自体が、
これが当て字である事の証拠ではないか?
やがて、訓読みが普及するなかで、
あこが沖になり、なばが縄になったのである。
あこなばは、沖縄島の人々が話していた言葉であり
日本人がつけた呼称ではない。
そして、アマミクについては、それがどうして
日本語であるか?意味不明でしかない。
アマミク、シネリクが世界の創造神名として通用するのは
奄美郡島までであり、日本本土には無い名称だ。
日本神話の世界の創造神はイザナギ・イザナミである。
出典:ウィキペディア
アマミク・シネリクの天地創造とイザナギ・イザナミの
国産み神話には多くの共通点があるが、それならば、
どうして名前が大きく違うのかという疑問が残る。