新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

2016年10月のブログ記事

  • 林世功世紀の自決

    北京にいた林世功 1879年10月以来、琉球を脱出し北京に滞在していたのは 向徳宏(幸地朝常)を筆頭に、毛精長、蔡大鼎、林世功の面々でした。 脱出直後から、事態は先島分島案により 琉球が固有の領土を日清によって分割されるという情報に接し、 その阻止の為に、嘆願を繰り返していたのです。 清国官吏から... 続きをみる

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  • 向徳宏の泣訴で小琉球国建国が断念される

    突如として沈黙を開始した清国側 1880年、10月21日、日本の先島分島案+日本の清国内での 通商の西洋列強並の待遇+宮古・八重山郡島に向徳宏(幸地朝常)を 擁立する小琉球国を建国する事で大筋合意した琉球分割条約は、 10日後の調印を待つばかりになっていました。 ところが10日経過しても清国代表は... 続きをみる

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  • 頑固党 人名録 義村按司朝明

    豪放磊落、破天荒な人物 義村按司朝明は、最初の頑固党の首領、亀川盛武の死後、 頑固党を引っ張ってきた首領です。 1830年、向文輝:奥武親方朝昇の五男として 首里で生まれた朝明は子供に恵まれない義村御殿朝章の養子になります。 義村御殿は、尚穆王の三男、義村王子朝宜を元祖とする王族で、 東風平間切の... 続きをみる

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  • 日清が琉球分割条約を締結、先島に小琉球国が建国?

    琉球の王族を先島の小王国の王にする案が浮上 日清会談は不調でありながら、進み続けていた。 清はロシアとの国境紛争(イリ問題)を抱えており、 日本とは何とか外交で琉球の帰属問題を解決したい腹だった。 それには日本にやや譲歩して日清連携を成し遂げ、 北のロシアに対して共同で当たりたいという思惑もあった... 続きをみる

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  • まるでスパイ映画、水面下で戦う日本政府と亡命琉球人2

    すれ違う日清両国 竹添公使は一度帰国し、李鴻章の意図を明治政府に伝えました。 そこで明治政府は、グラント元大統領の提案を元に、 琉球の南島(宮古・八重山)を清に割譲し、その見返りとして 日清条約を改定し、日本に欧米諸国並みの清国内での 通商特権を認めてくれるように打診します。 琉球は日本であると言... 続きをみる

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  • まるでスパイ映画、水面下で戦う日本政府と亡命琉球人1

    不謹慎と思われるかもしれませんが、 琉球処分前後の頑固党と明治政府の情報戦は まるでスパイ映画のようで面白いです。 映画なら、どんなに派手でもフィクションですが、 こちらは本当なので感慨の深さも半端ではありません。 明治政府、琉球処分を断行、そこからドラマが始まる 1879年、4月4日、廃琉置県は... 続きをみる

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  • 亡命琉球人(脱清人)について

    明治政府による国際法無視の琉球併合に抵抗して、 当時の清朝に亡命して救援要請と抵抗運動をした琉球士族を 一般には脱清人と言います。 しかし、清に脱出するというのは、琉球を強制併合した 明治政府からの見方であり、当時の琉球人にその感覚はなく、 亡命琉球人と呼ぶ方が正確です。 琉球人の清国への亡命は琉... 続きをみる

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  • 琉球士族の天国と地獄

    琉球の士族は大きく2つに分かれます。 総地頭、脇地頭のように、御殿、殿内、親方と呼ばれ 領地を持っていたり役職について俸給を受ける高級士族と いつ空くとも知れない王府のポストを狙い 農業や内職に勤しむ平士族です。 琉球処分における、なんら国際法に基づかない 明治政府の強制併合は琉球士族の反発を招き... 続きをみる

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  • 首里城に漂うバラの香り

    歴代宝案という琉球の外交文書に、シャム(タイ)からの贈り物リストがあります。 そこには、薔薇露水5缶という表記がありました。 これは薔薇の香水の事です、15世紀のアフガニスタンの ヘラートという都市では薔薇の香水が特産品として、ふんだんに造られており、 そこから、中近東のカイロやアデンに輸出され、... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動6

    公同会運動は政府に黙殺され恫喝を受ける 1897年、公同会運動の代表者9名は上京して、請願活動を行います。 ところが政府の運動への態度は「理に叶わぬ事」と否定的であり、 「このような運動は国事犯に該当する」 と処罰を仄めかしたので、運動は一気に収束していきました。 多くの署名を集めたにしても、同じ... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動5

    廃藩置県のやり直しを求める公同会運動 1872年、日本本土の廃藩置県に遅れる事1年で 琉球国は琉球藩にされる事になります。 これは、明治政府が国内の藩に琉球を模したものであり、 形式的な措置でした。 琉球藩になると同時に、琉球の支配権は、 鹿児島県から明治政府に移行し、琉球の外交権が停止 国王尚泰... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動4

    公同会運動は、現在においても、尚家を沖縄の世襲の知事として、 旧士族の既得権益を守ろうとする運動であるとされます。 しかし、前述したように、請願書においては、 日本の法律の下に尚家の人間を知事とする沖縄県を置き、 政府の監督官を設置し、県議会を設置して人材を募るなど およそ琉球藩の復活には、無縁の... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動3

    琉球処分から30年間、県議会も置かれず、 独裁的な奈良原県政による鹿児島系商人の県経済の寡占化に 行政面から対抗するべく、公同会運動は発足しました。 公同会の錚々たる面々 公同会運動の主要メンバーは、尚泰侯爵の二男である 尚寅と四男の尚順さらに、伊江朝真、護得久朝惟、 高嶺朝教、豊見城盛和、知花朝... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動2

    琉球処分から30年、県議会が置かれず、 予算を編成する権限も与えられない沖縄県では、 大きな弊害が起きていました。 琉球王とあだ名され、16年の長期にわたり 沖縄県に君臨した奈良原県政の鹿児島商人との癒着です。 1892年から第四代の官選知事として赴任した奈良原は 通常は知事の政治運営を掣肘しチエ... 続きをみる

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  • 開化党と頑固党が手を組んだ 公同会運動1

    琉球処分から、15年、日本の日清戦争における勝利により、 長く続いた頑固党の琉球国復興運動も終結に向かいました。 しかし、沖縄の苦難は、これで終わったわけではありませんでした。 長い間続いた日本支配に対する旧士族の抵抗に手を焼いた明治政府は 旧慣温存政策を取り、沖縄県の体制を大きく改変せず、 元々... 続きをみる

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  • 琉球国の国歌 石なぐの歌

    日本の国歌は君が代ですが、では、琉球国の国歌はなんでしょう? 「琉球に国歌なんてあったのか?」 実はあったのです、お目出度い席では必ず歌われた 賀歌としての国歌、それが石なぐの歌です。 石なぐの 石の大石 なるまでも うかきぶせみしょり 我御主がなし 意味は、石投げ遊びの小石が大石になるまでの長い... 続きをみる

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  • 做琉球で一儲け、後を絶たない密貿易

    中国福州には、「做(ツォ)琉球(ルーチュー)」という 隠語めいた言葉があるそうです。 做(ツォ)とは「造る」「~する」という意味ですが、 さて何をするのでしょう。 その答えは、法の監視をくぐり密貿易を行って 一財産を築くという事でした。 琉球は、500年に渡り、中国との間で進貢貿易をしていた関係で... 続きをみる

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  • 冊封使が食べなかった高級食材

    琉球では王が代替わりすると、中国に使者を派遣して 新しい王を認証してもらう儀式がありました。 これを冊封と言い、500名からの中国の使者が 海を越えて琉球に来て、半年ほど滞在し、 その間に、皇帝の勅を持ってきて新国王を承認します。 王の一世一代のセレモニーを飾る為に 貧乏な琉球も気合を入れて借金を... 続きをみる

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  • 沖縄版442連隊 屋部軍曹

    日本史においては、沖縄の歴史は、 ほぼ日本のエゴに支配された歴史 大国に翻弄された歴史として記録されます。 そこでは犠牲者としての沖縄人が クローズアップされがちですが、 実際には琉球処分を契機に 「むしろこうなったからには、 積極的に日本人に同化しよう」 とした人々もいたのです。 多くの県民から... 続きをみる

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  • 東京裁判で戦勝国側にいた沖縄人

    那覇市泉崎生まれの石川正通(1897~1982)は 英語が天才的に出来るという人物でした。 元々は教会の牧師から習った英会話でしたが 興味を持ったのか次第に熟練し 学校の歴史の答案用紙に英語で答えを書く程で 教師達を慌てさせ、また呆れさせました。 「石川君は英語の受業は受けんでよろしい、 どこかで... 続きをみる

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  • 琉球王朝事件簿 ・幻の陶工の系図を巡る改竄事件(3)

    島袋家は、五男いて、 いづれも裕福な暮らしをしていました。 縋り入りの話を聞いた島袋家では、 「花城・渡口家は除いて島袋家だけで、 縋り入りをしたい、報酬はもっと沢山出すから」 と欲をかいた申し出をしました。 仲松と池原は、より儲けがありそうな 島袋家の提案に乗り、花城、渡口家を 締め出す方向で動... 続きをみる

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  • 琉球王朝事件簿 ・幻の陶工の系図を巡る改竄事件(2)

    西暦、1857年の事、首里立岸村の士族 仲松里之子は、玉城間切冨名腰村在住の花城筑登之を 訪ねて、同家に古くから伝わる古文書を見ました。 それは、1670年代に生存した陶工の花城親雲上の 古文書で、陶業によって功績を挙げたので、 士族の身分を賜るように王府に願い出たものでした。 仲松は、これを見て... 続きをみる

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  • 琉球王朝事件簿 ・幻の陶工の系図を巡る改竄事件1

    平田典通は、琉球史にその名を刻む陶工で、 元は平民でありながら功績大という事で系図を賜り 士族に取り立てられました。 しかし、典通の家系は、3世の代で途絶え、 平田家は養子を取るべく系図座に願いを出します。 その時に、首里の長嶺という男が平田の家を 訪ねて、系図を貸して欲しいと持ち掛けました。 平... 続きをみる

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  • ■かなり変則的だった琉球の王位継承

    国王の家柄と言えば、 当然、血縁絶対の長子相続と思われがちですが、 実際にはそう簡単でもないのが歴史というものです。 琉球国も例外ではなく、長子相続から、 兄弟相続、祖父の時代別れた浦添尚家からの 相続とバラエティに富んでいます。 一応、正妃と側室では、正妃の子が正統とされ それは守られていますが... 続きをみる

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  • ☆琉米条約に入れられた唯一の琉球側の要望とは?

    琉球にやってきた米兵には、一応、夕方を過ぎたら 艦内に戻る事、それが無理なら指定された寺などで 宿泊する事が通達されていました。 しかし、ペリーが連れてきた800名という 水兵には、それを守らないでトラブルを起す人間も 大勢いたのも事実でした。 ・民家の垣根を乗り越えて、 人の家の位牌を、お土産と... 続きをみる

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  • ■琉球の人身売買

    製糖産業や、ウコン・タバコ栽培等によって 換金作物が誕生して、産業が発生し 貨幣が沖縄全域を回るようになった1667年。 王府は、それまでの労働力提供の 夫役をやめて銭でこれを支払うように命じます。 年貢は変わらず物納でしたが、 夫役は銭納になったのです。 夫役はこればかりではなく、 村の総地頭や... 続きをみる

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  • ■尚巴志の直筆?部下の安全を頼む手紙

    琉球の統一者、尚巴志は書状も形式ばったものが多く そこから個人を窺い知るのは難しいものがあります。 しかし、「志 布志 阿多文書 」 と呼ばれる八通の 書状に、代主という肩書で尚巴志の手紙が、 含まれているのではないか?という説があります。 その内容は以下のような感じです。 「先だっての私の拙い書... 続きをみる

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