新しい沖縄歴史教科書を造る会

日本史の一部、地方史としての沖縄を脱却して
主体的に故郷の歴史を見て見ようというブログ

・進貢船とは軍艦だった。

琉球と言えば進貢船という程にセットの感のある進貢船ですが、
この船は軍艦だった事をご存じでしょうか?

 元は、明の時代に海賊対策として省の海軍に配備された 払下げの船で、

大きさは550トンで、 収容人数300名という大型船でした。


 軍艦とは言え、明王朝は武器まではくれなかったので、 
琉球は装備品を倭寇などの海賊から購入しています。

 それらの装備品は元は明軍から分捕ったものや、 横流し品だったので、
琉球の船の装備は、 明海軍と変わりがないものでした。
 それらの武器は、火箭(かせん)と呼ばれたロケット砲で、
 100本位纏めて六角形の青銅の筒に詰めて 敵の船に発射していました。

 これが敵船に当たると木造船では火災を起こすので、
 飛び道具としてはかなり有効だったのです。 
1570年代を境に東南アジア貿易が衰退すると 
進貢船は、中国と琉球を往複するだけになり、 大きさも縮小、
100~200名乗りで300トン から200トンの船に変化します。


 この頃には、船の飛び道具は 砲弾を飛ばす大砲と火縄銃に変化します。
 また、船は那覇の港で自前で製造するように 変化していきました。


琉球に武器がないというのは、国内だけの事であって、
法律などない海賊が横行する海ではしっかり武装して
積み荷を守っていたのです。

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