☆琉球の使節 北京で中国人と大喧嘩
後には守礼の国と称えられ、大人しい温厚な人々になった
琉球の人も、15世紀は戦乱の真っ最中で、
凶暴で勇敢な人々と周辺国に恐れられていた時期があります。
西暦1448年1月、正月の挨拶を述べる為に、 北京に上った使者謝花ですが、
彼の従者は荒くれ者が多かったのか 四川長河の西の番人達と
会同館(外国人用ゲストハウス)の門外で 大喧嘩をします。
この喧嘩は、重傷者や死者が出る大騒ぎになり、
役人は英宗帝に上奏、皇帝の命令で首謀者は逮捕され、
禁裏を騒がせたとして処刑されました。
通常は、このようなトラブルが起きると朝貢は
禁止になるのですが、
この時は大きな外交問題には
なっていません。
という事は、琉球ばかりではなく、中国人側にも
過失があったという事になったのでしょうか、、
※参考文献 首里城王統紀 比嘉朝進 著